――役所さんにとって、一番最初のオリンピックの記憶はどのようなものですか?
1964年の東京オリンピックです。当時、僕は長崎の片田舎にいたんですが、日本中が浮き足立っていたような気がしますね。
スポーツに関しては、柔道のアントン・ヘーシンクと神永昭夫さんの試合の記憶が残っています。ヘーシンクに、日本柔道が負けたということが悲しくて、日本全体がショックを受けたような空気を感じました。
――特に記憶に残っているオリンピックの試合は他にもありますか?
1998年の長野オリンピックで、日本の団体が優勝したときのスキージャンプは、実際に見に行ったので覚えています。
会場に集まった観客の人たちと一緒に“ウェーブ”やったんです。あの時は、会場のどよめきがすごくて、「わー」っていう歓声とか、失速したときのため息とかをすごく感じていました。そのプレッシャーに耐えながら競技をする選手たちは、本当に大変なんだろうなと思いましたね。
――そういったシビアな世界を見て感じたことなどを、本作にも反映させていらっしゃるんでしょうか。
先日、スウェーデンのストックホルムでロケをしたときにも感じたことなんですが、嘉納さんは金栗くんと三島(弥彦)くんをストックホルムまで連れてきて、オリンピックに出場させて、彼らの人生を変えてしまったんですよね。そういう責任を嘉納さんも感じていたと思います。
一方で、IOC総会のシーンの撮影では、“オリンピック”の価値というものを学んで、やっぱり“オリンピック”はこれからも頑張ってやっていかなければいけないと思いましたし、「嘉納さんはやっぱり間違ってなかった」と思いました。
嘉納さんは、戦争や震災があった後でも、「とにかくみんなでスポーツをやって、復興するんだ」という思いが強かったんじゃないでしょうか。それを実現させるためには、オリンピックにかけたんだと思います。
それに、嘉納さんも近代オリンピックを作り上げたピエール・ド・クーベルタンと、同じ教育者ですから、「スポーツで人間を育成していく」という精神にすごく共感したんだと思います。
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