――最初に宅間さんとお会いしたときに、撮り方以外にお話したことってありますか?
あんまり大した話はしなかった気がする。雑談ですよね。お互いに「どんな人なんだろう」と探ってる感じでした。“肌感”というか直感というか、人となりを見ちゃうんですよね、僕(笑)。話していても話で探っているというよりも、直感で見ちゃうところがあるので。
――その直感で、宅間さんにどんな印象を持ちましたか?
不思議な人でしたね。何かこう、“レイヤー”がこんなにある人ってちょっと珍しいぞと思いました。どのレイヤーを主体にしている人なんだろうってことがちょっと分かりにくい、複雑な魅力のある人ですね。それは波岡君にも感じたことなんですけど。単純に言ってしまうと、すごく下卑たところと知的なところがレイヤーになっている。
――先日、宅間監督がラジオ番組で、三上さんのことを「すごく真面目で、自分と似ている」とお話ししていましたが、似てると思いますか?
面白いね! そういう発言が出るとは思えないくらい、(宅間監督は)おおらかというか、不思議だよね。僕はどっちかというか神経質っぽいでしょ?
――稽古期間の2週間、特に重点を置いていたことはありますか?
撮影の手法上(※)、僕がカメラを持って入ってきて、それをポンッと置くわけですね。(※作品は間宮が持ち込んだバッグの中に入っている隠しカメラの視点で展開される)
それでもう画角が決まっちゃって、あとはピント送りもサイズ変更もできない。そうすると、だいたい90~120度くらいの間に画角が限定されて、映る・映らないの境界線ができるわけですよ。その境界線に最初はテープを貼ったりして、“芝居はこの線の中ですること”って約束事を作って、その中でやってくわけですよ。
でも、例えばカメラの近くから奥のベッドに行って芝居をするとき、間にソファが障害物としてあったら、直線的に行くのは変じゃないですか。だから、そういうときには外側を回って、敢えて画角の外を使いながら芝居を成立させるとか。
あとは、このせりふのときはバストアップにして、このせりふのときはフルショットにしてというのも、自分がカメラに寄ることで変わってきたり、「ケチャップはここに置いてください」とか、「ここでケチャップを印象付けてください」とか、そういうさじ加減を稽古中にどんどん入れていきました。
それをせりふと擦り合わせて、成立させていく。せりふを覚えるだけでも大変だったんですけど、そんなことを毎日やっていましたね。
――事前に作品を拝見したんですが、やっぱりカメラから遠いところで演技をしなければいけないのが、通常のドラマや映画と大きく違うところだなと思いました。
後半、僕が命乞いをするシーンがあるんですけど、他の人たちより奥での芝居になっちゃうんですよね。そうなったときに、やっぱり大きく見せなきゃいけない。少々さじ加減を増やして、でもリアルに見えるように。あとはもう自分が本気で命乞いをするんだっていうことですよね。本気を込めるということです。
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