<いだてん>四三と孝蔵が日本橋で交差!二人の“麒麟児”の歩みを追う

2019/02/16 07:00 配信

ドラマ

【写真を見る】すれ違う2人の背景には、美しい花火が!(C)NHK


宮藤官九郎が脚本を務める大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)。

中村勘九郎と阿部サダヲがダブル主演する本作。前半の主人公は、1912年のストックホルムオリンピックに出場するマラソン選手の金栗四三(勘九郎)だ。

本作のナビゲーターとして“語り”を務めているのは、四三と同じ時代の東京を生きた落語家・古今亭志ん生。本作では、四三の人生と共に、志ん生の青年期・美濃部孝蔵(森山未來)の物語も進んでいる。

2月10日に放送された第6回(再放送は2月16日[土]昼1:05-1:50、NHK総合)では、同じ東京に生きる同世代の人物ながら、マラソン選手と落語家という全く違った道を突き進んできた四三と孝蔵が東京・日本橋の上で交差。二人の背景には、五輪のマークのような花火が上がる美しいシーンとして描かれた。

同記事では、そんな奇跡的な交差シーンに至るまでの、二人のこれまでの歩みを振り返る。

間逆な二人の破天荒な少年時代


虚弱体質だった幼少期の四三(C)NHK


明治二十四(1891)年、熊本の山深い集落・玉名郡、春富村で誕生した四三。この珍しい名前は、「父・信彦(田口トモロヲ)が43歳のときに生まれたから」という、いたってシンプルな理由でつけられた。

一方、その一年前の明治二十三(1890)年。東京・神田で生まれたのが孝蔵だった。その名前の由来は、「大いに親孝行して、蔵の一つも建ててくれよ」という、親の思いが込められたものだった。

虚弱体質だった四三は、祖母のスマ(大方斐紗子)に「嘉納先生(役所広司)に抱っこしてもろたら、丈夫な子に育つばい」と言われ、父と共に嘉納に会いに熊本へ。

柔道を教えている嘉納の姿を見ることはできたものの、嘉納に近づくことは叶わず、四三と信彦はそのまま家に引き返す。

しかしその後、玉名北高等小学校に進学した四三は往復3里12kmの道のりを走る「いだてん通学」で虚弱体質を克服した。

その頃の孝蔵はというと、11歳にして小学校をとっくに中退。飲む、打つ、買うの社交界へデビュー。さらに、金に困って親の大事にしていた煙管を質屋に入れ、勘当されていた。