――今作に出演が決まった時のお気持ちはいかがでしたか?
とにかくうれしかったですね。2017年に三谷さんの「子供の事情」という舞台に出演して以降、映像のお仕事が立て込んでいて。でも僕は演劇が本当に好きなので、この忙しさが一段落したら必ず舞台をやりたいと思っていたんです。
だからオファーをいただいた時は青天の霹靂というか、しかも、パルコさん! ハイクラスな演劇体験を必ずお約束する、あの名作もこの名作もプロデュースしている、いつか出たいと思っていたパルコプロデュース。
状況的には一段落どころか、むしろ早過ぎる気もしたんですが、かなうことであれば「ぜひ出たい!」と二つ返事で参加させていただくことにしました。
――今回の役に対しての役作りは、どのようにされましたか?
役名がなく、医師というポジションだけなんです。ポジションでキャラクターを作るということは、作家はそれ以上のものを求めていなくて。
どちらかというとその人の本名や人生は関係なく、主役の人達を翻弄(ほんろう)して、動かすためのガジェットとして、存在すればいいのかなと思っていたのですが、その割にはかなり演じ手の人間性を試されるというか、演じる人によってイメージが変わるんだろうなと思います。
とにかく台本上のせりふや情報に執着するとトム・ストッパードのわなにはまりそうなので(笑)、基本なすがままにしているというか、正直会話から生まれる以上の役作りはしないようにしています。
――こんなふうに演じるという、イメージは作られていますか?
なので、極力固めないようにしています。作品がはらんでいるテーマとか、歴史的な背景とか、モデルとなっている国とかいろいろあって、極めて政治的な内容の物語なハズなんですが、そういった情報がストッパードにとって、どの程度重要なのか意外とケムに巻かれていて見えない…。
そういう作品は初めてで、最初に読んだ時は難解で頭が痛くなったんですけど…でも午前中のファミレスで読んだ時に、こんなシンプルな話あるのかと思うぐらい全部納得がいっちゃて(笑)。体調とか時間帯に左右されるぐらい、いろんな側面があって。単純なほど奥が深いのか、奥が深いからこそ単純に見えるのか…。とにかく底が知れない以上、こちらで何を用意しても、なんの対応にもならないなと思っています。
むしろ血肉を与える俳優たちと、一緒にリアルな会話をするライブ感の中で面白くしていけたらと思っています。
翻訳劇自体初めてで、そもそも得意か苦手かも未だ実感が伴わない以上、思い切っていろいろ試してみるしかないなと。当然「それ間違ってるよ」って言われることもあると思うので、そういうところは演出のウィル・タケットさんとコミュニケーションを取りながら、確定していきたいと思っているんですが、ウィルさんが「必ずいいところを見つけて褒める」タイプの方なので、永遠に試し続けたくなって逆に怖いです(笑)。
――この作品に限らず、撮影現場にはまっさらな状態で行かれるんですか?
僕は準備にひたすら時間をかけます。いろんな可能性を考えて、考え抜いた上で、実際の現場ではできるだけその全てを忘れるようにしています。
「俺は、これしかやらない」じゃなくて、それを作りたい人、受け取りたい人のニーズに答えたいんです。そのために引出しの中は常に可能性でいっぱいにしておきますが、その一つを机の上に飾ったまま、現場で見せるようなことはしませんね。
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