父方の祖母が人見絹枝さんと同じ学校の1年後輩だったそうです。すば抜けて運動神経のよい人だった反面、とてもエレガントな方でもあったそうです。
岡山ではとても有名な方で、地元で行われる山陽女子ロードレースでは優勝者に人見絹枝杯が贈られるんですよ。私はその第一回大会で人見絹枝杯をいただき、そのときに祖母にトロフィーを見せ、とても喜んでもらったことを覚えています。
バルセロナオリンピックは祖母が亡くなったあとでした。お守り代わりに、人見絹枝杯をいただいたときに祖母と一緒に撮った写真を持っていったんです。そのつながりで、人見さんにも見守ってほしい、後押ししてほしいという気持ちになり、人見さんの写真も持っていきました。
彼女をより意識するようになったのは、オリンピックでメダルを獲得してからです。奇しくも私がバルセロナでメダルを獲ったのは、人見さんがアムステルダム大会で銀メダルを獲得したのと同じ8月2日でした。そして人見さんが亡くなったのも8月2日。そういったリンクする部分があったことと、やはり自分がそれまでやってきたことと彼女の生き方に共通点があったので、勝手に「(人見さんの思いを)受け継いでいかないと」と思うようになったんです。
こうして私たちが競技に出られて、世界で戦える環境を得られているのは人見さんのおかげ。人見さんは、日本女性がスポーツをすることの意義と、その環境を大きく変えた偉大なアスリートです。
私自身、自分のたどってきた道筋を思い出せば思い出すほど、人見さんがしてくださったことの大きさを切実に感じます。その存在を世の中の方にもっと知っていただきたいですし、私も彼女の生き方を伝えていければと思っています。
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