――一流の馬具職人という設定ですが、プレッシャーなどはありましたか?
職人として腕が一流という設定なので、すごくプレッシャーがありました。それもあって、北海道まで行って勉強しましたし…。なかなかのプレッシャーですよね。でも、死ぬほど練習をしたので、そこは自信があります。
実は、僕はドラマでのルールみたいなものが分かっていなかったので、前室でスタンバイをするということも知らなかったんです。照明さんたちがセッティングをしている中、作業場のセットで黙々と練習をしていました。舞台のセットだと、慣れるためにずっと居たりするので。もしかしたら邪魔になっていたかもしれませんが、休憩中も一人で集中して作業をしていましたね。
お世話になった工場の職人さんからは「普通に働けるよ」と言われるくらいに、今ではうまくなったと思っています。手にはマメがたくさんできましたけどね。
――岩城の魅力はどこだと思われますか?
馬具職人はすごく繊細でこまやかで、センスがあって、頭が良くないとできない仕事。岩城という人間は、自分をとことん突き詰めて、妥協を許さない。プライドを持って、この職業を背負っていた人だと思います。周りの人に厳しいのも、要はこの仕事を他人になめられるなよ、という意味合いもあるのかなと。
関内馬具店は軍に馬具を卸す仕事をしているので、量産しないといけない。下請けとしてかなりハードな仕事だったと思います。岩城としては、いい仕事をして、馬具職人という職業が世の中にもっと認められる仕事になるように、完璧な美しいものを作ろうとしている。
光石研さん演じる安隆さんを超えようと思っていたわけじゃないけれど、馬具職人としてのプライドを保つために厳しい人間になったんだろうなと思います。
裏を返せば、たぶん中身にあるものは、温かくて、信じたものに真っすぐな人。関内家に対しても、忠実であり、愛情深い人間だと思います。
ずっと僕の中で引っ掛かっていたんですが、岩城は第9回(4月9日放送)で仕事がなくなった関内家から出ていくというシーンがありました。実のところ、演じていた僕は納得いかなかったんです。岩城はどんなときでも出ていかない人なんじゃないかと思っていたので。
幼少期の音(清水香帆)に、「職人は仕事がなきゃ食ってかれん」というせりふを言うんですが、役を演じていくごとに、あのときの行動は、関内家のためだったのかなと思えるようになりました。さらに一流になろうとして、外で職人としての腕を上げようとしたのではないかと思えて、あるときふっと腹に落ちたんですよね。
今みたいに作り手が大々的に知らされることって昔は少なかったと思うんです。誰が作ったかは重要視されていない時代で、自分の技術を人に評価されて、雇われることでしか生計を立てられない。それって、職人にとってはすごくさみしいことだったと思います。岩城の背中が少しさみしそうな感じがするのも、なんとなくそういう背景があるからだと思います。
いま古着や手作りのものを好む方が多くいるのも、現代の機械で作られたものではなく、当時のこまかい手作業で生み出される丁寧さや質感、あたたかみが出ているからこそ。
物づくりを極めた職人の方は、作り上げられたものとイコールというか、温かくてとても優しい方なんだろうなと思います。大体いいものを作る職人さんってファーストコンタクトは怖い方が多いイメージじゃないですか。岩城も見てのとおり、いかついですもんね(笑)。
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