<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜「ファンとは何か?」【短期集中連載/第5回】

2020/09/21 17:30 配信

映画

【画像を見る】超貴重な一枚!絵本『えんとつ町のプペル』は、当初は西野一人で極細のボールペンで描いていた


「面倒」が理由で、このような疑問を持ったわけではありません。それが理由ならば、とっくの昔に止めています。たとえば映画は、監督さんがいて、カメラマンさんがいて、音声さんがいて、照明さんがいて、美術さんがいて、衣装さんがいて、メイクさんがいて、役者さんがいて……多くのスタッフが「自分の得意分野」を持ち寄って、分業制で作られています。テレビも、漫画も、音楽も、世の中の多くの作品が「分業制」で作られています。

ところが絵本は「作者が一人で絵を描くこと」となっています。何故だろう? 何故、一人で描いているのだろう? 空を描く仕事も、街を描く仕事も、キャラクターを描く仕事も、微妙に業務内容が違います。「空を描くこと」が得意な人もいれば、「空を描くことは苦手だけれど、街を描くこと」が得意な人もいます。「街並みを描くことは苦手だけれど、キャラクターを描くこと」が得意な人もいます。その人達が「自分の得意分野」を持ち寄って、映画のように分業制で絵本を作れば、誰も見たことのない絵本が生まれるのでは? そんなことを思いました。

問題は、「どうして、分業制で作られる絵本が世の中に存在しないのか?」。「絵本も分業制で作ればいいじゃん」と考えた人は過去にもいたハズです。ところが、分業制で作られている絵本は、世の中にあまり存在しません。そこにはきっと「存在できない理由」があるのだと思い、探った結果、すぐに理由が見つかりました。

「お金」です。

絵本市場は(日本の場合だと)5000部や1万部で「ヒット」と言われる小さな世界で、大きな売り上げは期待できません。売り上げが期待できないので、制作費を用意することができません。制作費を用意することができないので、スタッフを雇うことができません。スタッフを雇うことができないので、一人で作るしか選択肢がないのです。

そうして、多くの絵本作家達が何年も何年も一人で絵本を作り続けているうちに、「絵本は一人で作るものだ」という常識が出来上がってしまった。絵本を一人で作らせていた原因は「お金」でした。今となっては、もう誰も、絵本を一人で作ることに疑いを持ちません。

しかし、作者の目的は「常識に従うこと」ではありません。作者の目的は「お客さんを感動させること」です。一人で作った方がお客さんを感動させることができるのであれば一人で作るべきだし、100人で作った方がお客さんを感動させることができるのであれば、どうにか方法を探り、100人で作るべきです。

僕は数年間走らせ続けてきた0.03ミリのボールペンを置きました。そして次の日、袖山さんを呑み屋に誘い、「今度の『えんとつ町のプペル』は分業制で作ろうと思います」と話を切り出しました。

「ええ? ボールペンで描かないのですか?」

「はい」

「これまで描いた分はどうするんですか?」

「捨てます」

もともと「西野のボールペン画」に惚れ込んだところから始まった関係です。当然、反応は芳しくありませんでしたが、彼女は僕が一度言い出したら聞かない人間だということをよく知っています。まるで観念したように、お酒と一緒に呑み込んでくれました。

そこから、『えんとつ町のプペル』を一緒に作ってくれるスタッフと、そのスタッフに支払うお金を集める日々が始まります。たまたま友人が「イラスト特化型のクラウドソーシング」の会社を経営していたので、制作スタッフはそこで探すことにしました。「クラウドソーシング」というのは、インターネットを通じて不特定多数の人に仕事を依頼することができる仕組みのことです。そして、そこで集めたスタッフに支払うお金は「クラウドファンディング」で集めることにしました。

「絵本『えんとつ町のプペル』は、クラウドファンディングでお金を集めて、クラウドソーシングでスタッフを集めて、分業制で作る」と発表しましたが、時は2014年。世間の反応は、お察しのとおりです。「頭がおかしくなったの?」「お前は一体何を言っているのだ?」。つい最近まで、「芸人が絵本なんて描くな」と言っていた人達が、今度は「絵本は一人で描け」と言ってきます。どっちだ。

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