芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し50万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第7回目は、身内からのバッシングをも覚悟して絵本『えんとつ町のプペル』の無料公開に踏み切った、当時の思いと勝算について明かします。
絵本作家になるキッカケをくださったのはタモリさんです。タモリさんの中に「背中を押しちゃった手前」があったのかなかったのか、いずれにしても、よく呑みに連れて行っていただき、よく絵本の話をさせていただきました。覚えているのは、タモリさんが行きつけのBARで「戦争が終わらない理由」について話してくださった夜のこと。
「西野。どうして戦争がなくならないか、考えたことあるか?」「ないです。タモリさんはあるんですか?」「ないよ。だから、今、急いで考えている」「なんで、この話題になったんでしたっけ?」「BARでこういう話をしたらカッコイイからだろ」
本気なのかフザけているのか、どこまでも掴めない人です。「戦争が起きるのは、愛があるからだと思わないか?」「愛ですか?」「奪われたものに向けていた愛の大きさに比例して、奪った人間への恨みが大きくなるだろ」「たしかに。植物には、そういった報復はありませんしね」「人間があんな厄介な感情を持ち合わせていなければ、戦争なんて起こらないんだろうけど、それはそれでツマラナイ世界だよな」「ラブorピースですもんね」「厄介だね、まったく」
この夜の会話から『オルゴールワールド』という絵本が生まれました。原案をタモリさんが担当し、絵と文を僕が担当させていただきました。戦争と平和とエンターテイメントを取り扱った物語です。
『オルゴールワールド』のような作品を発表する度に、世のお父さんお母さんから「この絵本は、子供向けですか?」という質問をいただきます。絵本のタッチも相まって、「ウチの子には、この内容は、まだ早すぎるんじゃないか?」と心配されているのだと思います。心配される気持ちもわかります。しかし、多くの大人が何気なく使う、この「子供向け」という言葉には、タモリさんも僕も疑問を持っていました。
僕の家は4人兄弟のサラリーマン家庭で、それほど裕福ではなく、子供ながらにそのことは理解していました。もちろん授業で使う「習字セット」などは兄ちゃんのお下がり。新しく始まる書道の時間で、僕の「習字セット」だけが墨で汚れています。ちなみに「裁縫セット」は姉ちゃんのお下がり。ケースのデザインが“キキララ”だったので、かなり厳しい戦いになりました(笑)。今思うと本当に些細なことなのですが、子供心には結構こたえるんです。ただ、そんなことは口にはしませんでした。大変なのは父ちゃんと母ちゃんなので。
お正月になると親戚の家を回りました。そこで親戚のオジサンから「お年玉」を貰うわけですが、まさか僕が受け取るわけにはいきません。僕は、この「お年玉」を母ちゃんに渡し、家計の足しにしてもらおうと考えました。ですが、小学校低学年の息子が「家計の足しにして」とお年玉を渡してしまうと、傷つくのは「息子に気を使わせてしまった母親」です。僕は、母ちゃんが傷つかない方法を一生懸命考えました。その結果、「預かっといて」と言ってお年玉を渡し、返してもらうことを忘れることにしました。
西野家では年に一度、家族で外食に行く日がありました。近所にあった『やましげ』というステーキ屋さんです。父ちゃんは「好きなものを食べろ」と言いますが、うちは四人兄弟。皆がステーキを注文してしまうと大変な金額になってしまいます。しかし、だからと言って、父ちゃんの懐事情に気を使っているところが見つかってしまうと、傷つくのは父ちゃんです。そこで僕は「野菜が好き」ということにして、「野菜炒め」を注文しました。小学1〜2年生の頃の話です。
僕らは姿形こそ大きくなりましたが、中身は当時からあまり変わりません。幼稚園の頃から親の顔色をうかがっていましたし、「あのグループを敵に回すと厄介なことになる」というポジショニングをしていました。もちろん、「○○でちゅよ〜」といった言葉で話しかけてくる大人を軽蔑していました。あんな言葉を使っている子供は一人もいなかったので、シンプルに気持ちが悪かったです。
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