「真田丸」高嶋政伸、怪演の下にあるものは!?

2016/06/15 05:00 配信

ドラマ インタビュー

「真田丸」で北条氏政を演じる高嶋政伸を直撃!(C)NHK

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」(NHK総合ほか)。6月19日(日)の放送では、真田家とたびたび争ってきた北条家の滅亡が描かれる。

北条氏政役を演じる高嶋政伸は、汁かけ飯をすするシーンなど、怪演で話題を呼んできた。今回、高嶋を直撃し、役作りや滅亡に至る氏政への思いを聞いた。

――不気味な印象の氏政ですが、脚本の三谷幸喜さんからは人物像の説明はありましたか?

三谷さんから電話があって、「イメージとしては映画『クォ・ヴァディス』('51年、アメリカ)でピーター・ユスチノフが演じた皇帝ネロ、あとは大河ドラマ「武田信玄」('88年、NHK総合)の中村勘三郎さん(当時の勘九郎)が演じた今川義元のように、浮世離れしていて歌や蹴鞠(けまり)を好む、ちょっとお公家さん的な武将をイメージしている」と言われました。両方を見て、あとは北条家についての歴史書を読んで、少しずつ膨らませていきました。

――最終的には、どのようなキャラクターとして役を作り上げたのですか?

大河ドラマは今まで4本やらせていただいますが、「秀吉」('96年)では、主人公の弟として主役をずっと見させていただきました。そうした中で、1年間やるならば、役作りは、最低でも3パターン、できれば4パターン必要だと感じました。青年期、中年期、壮年期、老年期と、年齢に合わせてシフトチェンジが必要なんです。今回は1年を通しての出演ではありませんが、1回シフトチェンジが必要だと思いました。その最初の部分では、非常にこうかつな、カエルを生殺しにするヘビのような、薄気味悪いキャラクターを作りました。

――役作りはどういったところをヒントにされましたか?

基本的には三谷さんの台本です。三谷さんの台本を読むと、おっしゃっていた通りのせりふやキャラクターが描かれていました。“取り組みやすい、やりやすい台本だ”と最初は思うのですが、これが落とし穴で、練習を重ねていくと、いろんなものが多層的に重なっていることが分かって迷宮に入っていくんです。

これは内野(聖陽)さんが言っていたのですが「一口目がとてもおいしいんだけど、そこからだんだん分からなくなる」。僕も全くその通りだなと思います。表現が難しいですが、“パラノイアチックな集中”と“野放図ともいえる解放感”、“けたたましく鳴るような騒乱”と“叙情的なもの”、“名誉”と“スキャンダル”、あるいは“生”と“死”、そういった対極にあるはずのものが一緒に存在しているんです。大変な役を引き受けてしまったなと思いました。

――その混乱の中で、手掛かりになったものはありますか?

面白いのが、北条の一族は、一人の裏切り者も出していない一族らしいんです。ものすごくファミリーとして結束が固くて、だからこそ、戦国の世に100年生き残れた。それを知って、北条なりの家族愛みたいなものを根底に残しながら演じるようにしました。薄気味悪い感じはあったけど、心のどこかで家族や先祖や子孫を愛する、人間としての根本的な感情を持っていることを意識しました。

――汁かけ飯をすするシーンも含めてインパクトの強さが際立ちますが、役作りをする上で、“ほかの武将とは違うものを”といった意識はありますか?

汁かけ飯は、本当によく出てくるシーンですね。氏政の父・氏康が、何度かに分けて汁をかける氏政を見て、「(汁の)適量も分からないとは…」と嘆いたというエピソードが基になっています。ただ、氏政は、あえて自分のやり方で、一度に食べる分だけを掛けて食べる。戦争のやり方も同じで、じわりじわりと慎重に、でも確実に相手を負かしていく。汁かけ飯は、そういったキャラクターを表現するのにとても役立ちました。

それ以外の役作りは、やはり台本を読み込むことですね。先ほど言った通り、練習するほど迷宮入りしてしまうのですが、そこで助けになるのが史実なんです。初代の北条早雲から氏政までの歴史を読んで、自分なりに、三谷さんの台本のゴール地点を見つけ出すんです。90%以上は三谷さんの文章が基で、足りない部分は歴史書を読んだり、映画を見たり、あとは音楽もよく聞きます。

残虐性と無邪気さを感じるエリック・ドルフィーのバスクラリネット、それからジャズのジョン・コルトレーンカルテットのような重たいものを聞いて、ダークな感じを出していこうとしました。

ただ、後半では当然ながら滅亡します。滅亡するまでには、まとっていたものが、どんどんはぎ取られていくと思うんです。だから、最後の瞬間は、無邪気さと残虐性とかではなく、武士の典型みたいなものに収束していく姿を表現できたらいいなと思いました。名誉を重んじた、この時代の典型的な一武士になって、終わっていければいいなと思います。

――第22回から北条の滅亡の過程が描かれていますが、滅亡に向かう氏政をどのように演じましたか?

先ほどのシフトチェンジの話でいえば、最初のシフトチェンジまでは喜怒が強く、(秀吉による)小田原攻めくらいからは哀楽が強くなるという演じ分けをしました。やはり、秩序だったものが崩れていくさまは演じがいがあります。切ないですしね。それをどのように演じるかといえば、今まで演じた役や、経験を総動員してやっていくということですね。

――最後のシーンを台本で読まれてどのようにお感じになりましたか?

最後に、また汁かけ飯を食べるシーンがあるんです。でもそのときに何となく、氏政も「俺も、父(氏康)のように一度に汁を全て掛けるような食べ方なら、人生が変わっていたかな」と感じただろうかと思いました。でも、最終的には「これで良かった」と思って切腹するのではないかという気がするんですよね。最後は(自分の人生に)納得できるというか。

――顔におしろいを塗った姿が印象的でしたが、高嶋さん自身は追い詰められていく氏政の姿に、どのような感想を持ちましたか?

氏政は、秀吉に追い詰められる過程で、顔におしろいを塗って、部屋にお香をたくようになるのですが、実はこれには理由があって。「本当はこの人、怪物ではなかったのかな」と感じました。

氏政は、基本的には優秀な武将です。上杉や武田の勢力が強まる中で、いち早く西国の織田信長と結ぼうとするなど、外交的なセンスもあります。でも、時代を的確に読む力はほんの1mmだけ足りなかったのかな。1mmだけ秀吉の大きさを見誤ってしまったんだと思います。

それに徐々に気付いて、これまで自分の中にあった確固たる秩序の世界が崩れていく。それと同時に顔におしろいを塗っていくのですが、厚くなればなるほど、次第におしろいはひびが入って、崩れていくんですね。心の中が崩れていくのと同じように、顔も崩れてくる。ピエロみたいに滑稽に見えますが、その下に潜んでいたのは、実は普通の人というか、当時の典型的な武将だったんだと思います。

――間もなく、最後のシーンの撮影になりますが、意気込みを聞かせてください。

初めて信繁さん(堺)との一対一のシーンがあるので、思い残すことのないように演じたいと思います。堺さんというバイタリティーと才能ある役者さんの胸をお借りするつもりで、いろんなものを吸収して、そのシーンの中で全てお返ししたいなと思いますね。

最終的に“自分は負けた”と分かるのが、信繁とのシーンです。初めての負け、今まで負けたことのなかった一族が負けてしまったということで、氏政の中での大きな転換点になるのではないでしょうか。堺さんのお芝居をいただいて、僕なりの芝居でお返しする。そんなキャッチボールをしながら、高嶋政伸を一瞬でも忘れて、氏政という一人の人間になりきれる瞬間があればいいなと思います。

――収録中は、真田信尹役の栗原英雄さんと仲良くされていたということですが、どういったきっかけがあったのですか?

僕は、劇団四季さんの「クレイジー・フォー・ユー」という作品が一番好きなのですが、(劇団四季出身の)栗原さんも当時、ザングラーという役で出演されていたんですね。僕はこの作品は17回以上見ていて、ほとんど頭の中に入っているので、(歌いだして)「打ち明けようか僕は、君にクレイジーフォーユー」とやると、栗原さんはそれに合わせて踊ってくれるんですね。

もう、初日にしてそういうことをしているものだから、周りは「なんで、この二人はこんなに仲が良いんだ?」と驚いていました。息子・氏直役の細田善彦くんも、「なんでおやじは、信尹とこんなに仲良くなっているんだ? もっと息子役の俺とコミュニューケーションを取ってくれよ!」と思っていたかもしません(笑)。

――今回の氏政役もそうですが、近年 “怪演”“怪優”と言われることが多いように思います。ご自身ではどのように感じていますか?

“もう少し正統派にした方がいいかな”ということは常に思います(笑)。“やっぱり、大河ドラマだよな”というか、かつて出演した大河で、大先輩たちがどういうふうに役作りされていたかなというのを思い出して、それに比べて今の自分の役作りは正しいのか正しくないのか、というのは常に考えますね。

“怪演”とか“怪優”とおっしゃっていただけるのは、本当にうれしいのですが、あくまで基本があっての「変化球」だと思っています。人間として役に向き合って演じないといけない部分は、神経質に、きちょうめんに、丁寧にやりたいと思います。

それから、特に肝に銘じているのは、“本番だけをやっているとレベルが下がる”ということですね。変な言い方ですが、例えば、今回「真田丸」に出ていても、「真田丸」のことだけをやるのではなく、別の戯曲、別の台本を毎日読むんです。一人で古典を声に出して読んだり、若い役者さんと読み合わせの前に、戯曲を二人芝居でずっと読んだり、そういうふうにして総合的な演技力が下がらないようにしています。「変化球」と呼ばれる下には、そういう基本的な練習で、きちんと組み立てたものが必要なのかなと思います。

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