「真田丸」三谷幸喜を直撃 構想変えたのは“あの人”

2016/12/17 07:00 配信

ドラマ インタビュー

「真田丸」三谷幸喜が最終回直前にインタビューに応じた(C)NHK


――当て書きが多いことも三谷さんの脚本の特徴かと思いますが、いい意味でご自身の狙いを超えた人はいましたか?

僕の中で、役者さんが演じることによって一番成長したと思う役は、おこう(長野里美)と本多正信(近藤正臣)ですね。

病弱だったおこうさんは、本当は信之(大泉洋)が稲(吉田羊)と結婚したくらいから、フェードアウトさせようと思ってすらいたんです。それが、長野さんのお芝居が僕にすごくフィットして、キャラとして成長を始めていたことに気付きまして。

「逆に、正妻の座を離れてから元気になるのはどうだろう。その長野さんが見たい」と思って、ついに最後まで登場する形になりました。書き始めた時には、考えもしなかったことですね。

本多正信は、僕の好きな武将ですが、近藤さんが演じられることですごく人間味、深みが出てきて、近藤さんのせりふを書くのが楽しくてしょうがなかったんですよ。どんどんイメージが膨らんでいきました。

正信は悪いイメージもありますが、吉良上野介のように、実はそういう人ほど地元では真逆の評価をされていることがよくあります。もしかしたら彼の領主としての姿勢が、どこかで真田信之に影響を与えて、その信之が後に信濃松代藩の礎を築いていく…というふうにつながるのではないかと思い付いて、最終回にあるシーンを盛り込みました。

――振り返ると、第40回で信繁が“幸村”と名を変えたシーンが印象的でした。以前の取材では、「可能な限り史実に沿って描くという表明として“信繁”の名を使う」と説明されていましたが、くじを使って新たな名前を決めるアイデアはいつごろ浮かんだのですか?

基本的には、僕らの真田信繁は最後まで信繁です。ただ最後の大坂の陣で戦うときだけ、ある種、芸名のように“幸村”と名乗らせた。それはやはり、「真田幸村」ファンの方々へのサービスです。そして史実の「信繁」と伝説の「幸村」がその瞬間合体するわけです。同時に、兄の捨てた“幸”の字を受け継ぐことで、彼の覚悟を示す意味もありましたしね。

“幸”の出どころはすぐに決まったのですが、“村”はどこから来たのか…ということに悩みましたね。くじにしたのは、ご存じのとおり、父・昌幸(草刈正雄)の代から続く、今回の真田家伝統の“大事な時の神頼み”。作中の松(木村佳乃)の別称・村松殿から取るという案もありましたが、ドラマの中で村松殿と呼んでいませんし…。

そこで、くじだったら、たまたま“村”を引いたことにできるな、と思ったんです。大助(浦上晟周)が“村”までくじ箱に入れてしまったのもかわいらしいな…とか。そんなふうに生まれたアイデアですね。でもそれで言うと、「九」を引く可能性もあったわけで。考えてみれば、むちゃくちゃな設定です。

――SNSでの反響や、日本各地でのイベントなども大きな盛り上がりを見せましたが、ご自身ではどのように感じていましたか?

劇団時代から、公演のアンケートは読まないことにしていて。一つでも悪い評価を聞くとそれしか頭に残らないので。だから、SNSはなるべく見ないようにしていました。ただ、ブログなどできちんと分析して書いてくださっている方々もいて、そういったものはたまに見て励まされていました。

僕は東京でずっと書いていたので、地元の盛り上がりは直接感じたわけではありませんが、とにかくイベントの多さに驚きました。直江兼続役の村上新悟さんも昔から知っていますが、トークショーをやるようなタイプの方ではないんですよね(笑)。それなのに、いろんなところでお話されているのが不思議で。でも、すごくありがたかったですね。皆さんに助けてもらったなという気がします。

――笑いの要素も多い作品でしたが、特に成功したなというシーン、せりふはありますか?

第1回がオンエアされたときに、(昌幸が「浅間の山が噴火でもしない限り武田家は滅びない」と発言した直後に)浅間山が噴火したというシーンで、気のせいか、窓の外からどっと笑い声が聞こえた気がしたんです。

「あ、今、日本中の人が笑った」と感じました。もちろん「真田丸」はコメディではないのですが、笑いの要素は絶対に欲しかった。だって大河ドラマって、日曜の夜のエンターティメントですよ。少しでも楽しくありたいじゃないですか。大事なのは笑いとシリアスのバランス。あの噴火のシーンを見た時、僕は「今回の『真田丸』のタッチはこれなんだ」と感じましたし、そこからブレずに最後まで行けたと思います。

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