――「真田丸」は、脚本家人生においてどのような位置づけになりそうですか?
どのように視聴者を1年間引っ張っていくか、わくわくする気持ちを持続させていくかを考え続けてきました。そのためにはどんなテクニックがあるのか、自分自身が出来るものも出来ないもの含めて、この「真田丸」で勉強させてもらった気がします。
僕は自分のことを基本的には喜劇作家だと思っていますし、「真田丸」は他の大河に比べれば笑いの要素が多い作品だと思いますが、笑いのことだけではなく、“物語る”ということの面白さのようなものを突き詰めていく、一つのきっかけになった気がします。実は12年前に「新選組!」が終わった時も、似たようなこと言ってるんですけどね。
――「新選組!」を書かれていた時と比べて、一番の違いはどこにありましたか?
自分では、「真田丸」の方が“物語性”が強いイメージがありますね。「新選組!」は、ほとんど、近藤勇の最後の5年間くらいの話で、彼と仲間たちの目線で描いていけば良かったのですが、今回は作中で描かれる期間からして大きく違いました。
約30年間の物語であり、その間、実は信繁自身は何もしていないという人なので、どれだけ話を持たせていくかという点で、ハードルはかなり高かったと思います。でも自分なりに、国内外のドラマや映画を見たり、小説を読んだりしながら、とにかく50本飽きさせない、中だるみのない作品を作ろうと思って勉強しました。書き上げた今、何か自分の中にその蓄積があるような気がしています。
――もう一度大河を書きたいという思いはありますか?
もちろん。僕は本当に大河が大好きで、大河で育ったと思っているので、まだまだ恩返しが足りていないと感じます。機会があればやってみたいし、書きたい人物や題材もあります。
ただ、本当に申し訳ないと思うのは、「新選組!」にしろ「真田丸」にしろ、僕が書くことで見てくださる方がいる一方で、僕が書くから見ないという人もいるという事実。コメディを書いていることや、僕自身のキャラクターも相まって、見ていないのに「軽薄でコントのような“お笑い大河”」と思われている方もいらっしゃるんですね。
人間ドラマとしてきちんと作っているという自信があるし、これほど俳優さんもスタッフさんも頑張って作品を作っているのに、僕のせいで、作品に違うイメージを持たれてしまうようなことが本当に申し訳ない。…だから、もし次やるときはペンネームでやらせていただこうと思っています(笑)。
もし、まったく無名の新人作家が突然現れて、ものすごく面白い大河を書いたら、僕だと思ってください(笑)。
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