堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」(NHK総合ほか)。平岳大や高木渉など主役級以外にも注目が集まる中、1月31日(日)の放送ではついに「本能寺の変」が起きる。織田信長(吉田鋼太郎)を討った明智光秀を演じるのは作家・岩下尚史。「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)の伝統文化評論家としての印象が強い方も多いだろう。
そんな岩下が、俳優デビューを大河ドラマで飾った裏側や、三谷幸喜が描く新たな明智光秀像について語った。
――まずは、オファーが来た時の感想を教えてください。
驚きました! だって、私俳優じゃないですし、オファーなんて想像もしないじゃないですか。演技だって学芸会以来ですよ。
ただ、芝居は、幼稚園くらいからNHKの舞台中継で歌舞伎や能を見ていました。小学生の終わりには飛行機に乗って、東京まで見に来ていましたし、大学を出た後は長い間、新橋演舞場で働いていました。
――明智光秀役と聞いたときは、どうお感じになりましたか?
私自身がこうですから、公家とか坊さん、茶人を想像していて。それが、三谷さんから「僕のイメージでは、明智光秀なんです」と言われて。私、主人に弓を引くようなことしたことないのに(笑)。
――イメージが湧かなかったですか?
私の中で光秀は…映像作品だと小学6年の時に拝見した「国盗り物語」('73年NHK総合)の近藤正臣さんなんです。当時は、“憂いを含んだ中に狂気を秘めた、白皙の美青年”みたいな役が多くていらっしゃった。それが私ときたら、“おかしみの中に呑気らしい、肥満体の中爺(ちゅうじじい)”でしょ(笑)。
三谷さんに伺ったら今回は、“信長のことが好きで好きでたまらない家来” “お互いのことが分かり過ぎていて、面倒くさい関係になっている”というキャラクターだそうです。それを私が演じるんですから、ちょっと、今までいないタイプの光秀になるかもしれません。
――実際に演じられてみていかがでしたか?
信長に暴行されるシーンがあって。蹴られて転がって、首根っこをつかまれて欄干に打ち付けられる。打擲(ちょうちゃく)する手がゆるむと、傷だらけの光秀が…ってところで、それでも信長に陶酔している感じを出すように言われましたね。それが私ですもの、正直気持ち悪いですよね(笑)。エキストラの方に「きもかった?」って聞いたら、若い方だったけど、すぐに「きもいっす」っておっしゃっていました。でも、そういう演出なんですもの。
――大河ということで、衣装も手が込んでいたかと思いますがいかがでしたか?
きれいな直垂(ひたたれ)でした、古代紫みたいな色で。ほかの方は麻地で、私だけ絹物だったんです。うれしかったですね。
そういえば、髪形に注文を出させていただきました。床山さんに「しけ(ほつれ髪)を出してくださいな」と申しましてね、変な素人だと思われたに違いないけど、嫌な顔一つせず、結い上げたところから切ってくれて、ありがたかった。信長に蹴られるときに、顔に掛って風情が出るように、ご面倒でもお願いしたんです。なにしろ演技なんてできませんからね、せめて形だけでもと思って。
――「敵は本能寺にあり!」という有名なせりふがありましたがご感想はいかがですか?
そのシーンが最初だったんですよ。私にしては珍しく緊張して、あんまり覚えていないです。せりふは1週間くらいかけて、いろいろ工夫したんですよ。でも素人が変に工夫して変な声になってもいけないから、とにかく、真っすぐ声を出さなきゃと思って。
別録りで、馬から降りた状態で声だけくださいと言われて。光秀が自分に言い聞かせるパターンと、家来たちに指示するパターンと、その中間を録りました。実際、どれも難しかった。
それにしても、新橋演舞場にいた時に名優の皆さんに生意気なことをほざいていたことを思い出して、青くなりましたね。20代の時なんか、楽屋に行ってのれんを開けて「変ですよ」とか直接言っていたんです。バカでしょ? だから俳優さんたちのお墓参り行きましたよ。撮影が終わったら、また行きます。
――岩下さんは歌舞伎や能などに造詣が深いですが、演技にプラスになったのではないですか?
それがね、所作指導の橘(芳慧)先生って日本舞踊の家元さんが、「お若いころからご覽になった名優たちの芸のことは、どうぞ、全てお忘れください」っておっしゃるの(笑)。どうも、無意識に、浄瑠璃の音づかいや、歌舞伎芝居の動きに似せるらしいんですよ。なにもできない素人のくせに型を付けようとするんですから、タチがわるいですよね(笑)。三谷さんも私に演技なんて大それたことは期待しておいでじゃないんだから、と、途中で気付きましたが…。
――あらためて大河出演のご感想はいかがでしたか?
とにかく勝手が全然分からなかったんですが、俳優さん、スタッフの皆さんがご親切で助かりました。堺さんは、私がせりふが分からなくなってしまったのをご覧になっていたんでしょう、OKが出ると向こうから立って来て、にこやかに拍手しながら「緊張しましたねー!」って。お若いのに座頭らしいご配慮のある方でした。それにおきれいでね、やわらかい表情やしぐさの中に強さを秘めている感じが、今回のお役にぴったりだと感じました。
徳川家康役の内野聖陽さんもね、光秀が信長に打擲(ちょうちゃく)された後、後ろから抱きかかえて起こしてくれるんです。その場面もいろんな角度から撮影するんでしょう、テストと本番で20回近く蹴飛ばされて転び回るわけ。私54歳ですよ。そしたら内野さんがね、「この太ったオジサン、かわいそうだな」と思ったんでしょうね。懐紙で血を拭ってくれるんですが、最後の何回かは手で私の顔をすりすりしていましたよ (笑)。最後は握手して、抱擁してくださいました。
――数々の舞台やテレビをご覧になってきて、大河ドラマの魅力をあらためてどこに感じますか?
幼いころから家族で見ていましたが、せりふまで憶えているのは小5の時の「新・平家物語」(’74年NHK総合)で豪華でした。能狂言、歌舞伎、新派、新劇の名優から新人歌手までいろいろなジャンルの出演者を見ることができ、全国津々浦々の人たちを楽しませて来たことに功績があると思います。それに、1年を通して放送されるので。主役の成長を見る興味もあるし、ぜいたくな絵巻物が繰り広げられる気分も魅力です。
まぁ、私が役者をするのはこれが終わり初物。皆さんにはご迷惑でも、貴重な体験をすることができました(笑)。私も昼寝ばかりしていないで、大河ドラマの原作に使ってもらえるような物語を書きたいと思っています。
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