大河ドラマ「真田丸」(NHK総合ほか)。8月28日放送では、徳川家康(内野聖陽)との対立を深める石田三成(山本耕史)を、加藤清正(新井浩文)らが襲撃。最終的には、騒動の責任を取って三成が蟄居(ちっきょ)、つまり謹慎することになった。
その蟄居命令を伝えた五奉行の一人・長束正家役の木津誠之を直撃し、“同僚”三成への思いや、脚本の三谷幸喜や共演者たちへの思いを語ってもらった。
――まずは、オファーを受けた経緯から教えてください。
僕は、以前から三谷さんの舞台で“稽古場代役”を務めていたんです。それが、'14年の「君となら」という舞台に出演者として呼んでいただいて。その稽古場で、三谷さんに「木津君って大河出られますか?」と聞かれたんです。
「もちろんです!」と答えたら、「ぴったりな役があるので、考えておきます」と言われて、すごくうれしかったです。
マネジャーには「スケジュール一年空けといてよ!」とまで言ったのですが、それから一年半、まったく音沙汰のないまま、「真田丸」が始まってしまったんです。だから、「映ってないけど、あの障子の後ろには自分が居るんだ!」なんて念じながらずっと見てました(笑)。
そうしたら、4月に入って三谷さんから直接お電話をいただいて。「木津さんの役は長束正家です。お待たせしました」と言われたときは、もう感動して涙が出てきました。三谷さんからは「頑張って書きますから、しっかり勉強しておいてくださいね」と言われました。
――役が決まってからは、正家についてどんなふうに調べられたのですか?
まず図書館で正家関係の本を探して読んで、でもあまり資料がなくて。実際、肖像画も残ってない人物ですし。だから正家の城があった滋賀県の水口に行ったりもしました。僕の実家が三重県の伊賀で、水口は甲賀なので山一つ挟んだところなんです。
かつては東海道の宿場だった町並みも残っていますし、とてもいいところでした。町を見下ろす小高い山があって、そこの頂上に正家が城主を務めた水口岡山城跡があるんです。ほんの十数年しか機能していないのですが、大きな城だったようで石垣跡があったり、眺めもすごく良かったです。正家もきっと同じ景色を見たんだろうと想像したりして。
――そこに暮らした正家は、どんな人物だと感じましたか?
実は、水口で正家の子孫に当たるというお寺のご住職にお話を聞けたんです。正家は関ヶ原で三成の西軍について、負けて自分の城に逃げて落ちてくるのですが、最終的には捕まって切腹します。正家は死の直前に「子供には申し訳ないことをした」と言ったという話を聞いて、「この人は武将であるよりも先に、父親であり夫である“普通の人”なんだな」と思いました。
もちろん潔さは武士のものですが、最期にこの国の行く末といった“大きなこと”じゃなくて、息子たちのことを思うところに共感できましたし、正家という人物の芯の部分に触れられた気がしました。
――“普通の人”正家を、演技の上でどのように表現しようと思いましたか?
三谷さんに「今回の長束正家は、ちょっとおどおどしていているんだけど、妙な自信もある。でも気は小さい人物」と言われたのですが、それを聞いて「あ、これはまさに自分だな」と思ったんです。本当にぴったりだなって(笑)。きっと現場にいた時の自分を見てくださったんだなと思いました。
だから、表現するというよりも、いつもの自分のまま、三谷さんのせりふを話す事ができればと思いました。
――そんな正家は、秀吉の死後、三成と家康の対立に巻き込まれていきます。先日の放送でも描かれましたが、味方をなかなか集められない三成をどのように見ていましたか?
本当に不器用な人だなと思いますよね。もう少しうまくやればいいのに(笑)。でも、三谷さんに言われて印象に残っていることがあって、それは「正家は、中3の学級委員が中2の学級委員を下に見るように、三成を少し下に見ている」と。
だから「この人は、仕事はできるけど、こういうことが苦手だよなー」と、“仕方ない人だ”という目で見ていました。そういった三谷さんの視点がとても面白いなと思いました。
――正家から見て、不器用な三成に政権の主導権を握らせることに不安はなかったのでしょうか?
戦国モノでは、どうしても三成がフィーチャーされますが、正家からすると三成はあくまでも“同僚”なんですよね。正家の名前は三成ほど残っていませんが、立場としては横並び。正直、現場では山本耕史さんの眼力に圧倒されてしまうところはあったのですが、僕もどうにか同輩だと思って演じるようにしていました(笑)。
それだけに、三成に味方が集まらないのはかわいそうだなと思うのですが、いかんせん正家も戦働きがないから、武将たちからの人望はあまりないんです。でも、三成が「おまえら(後方部隊)は(戦の間)何をやっていた!」と清正に言われたときに、「後ろで算段するのも戦のうちだ!」と言ってくれて。
実際、兵站(へいたん)業務は一番大変なことですよね。あくまで「真田丸」の中での話ですが、「(そういった仕事に従事する人たちの気持ちを)やっぱり、この人は分かってくれている」と思いました。だから、正家は関ヶ原まで三成に付いて行ったのかなとも思います。
――そんな三成を苦しめるのが徳川家康ですが、間近で見て家康の存在感をどのように感じましたか?
すごい威圧感ですし、やっぱり認めざるを得ない大人物ということは言えると思います。豊臣方の正家からすると、合併相手の大会社の社長といったところですよね。僕らは秘書室長と経理部長みたいなポジション。
向こうのトップ(家康)は、実務能力が高い上に、戦上手ですから、正家にとっては家康に認められたいという願望もあったはずです。
それに、正家の妻は徳川方の本多忠勝の妹ともいわれているんです。そうすると、実は、徳川にも近い人物なんですよね。実際、徳川秀忠の接待役を務めたこともあったようですし。
ただ、正家にとっては、それはあくまで割り切った仕事だったのかもしれません。なぜかといえば、家康に政権を託せば(秀頼が十分に成長するまでの)15年くらいはうまくいく。そういった計算もできるはずの男なのに、それでも最後は三成に付くんですよね。何がそうさせたのか考えるのも面白いですし、演じていても楽しいです
――三成が蟄居を言い渡されるシーンでは、それまで三成襲撃に焦っていた正家が命令を伝えました。どんな経緯があったと想像しますか?
つらいですよね。五奉行の一人として、役目上、自分しかないということかもしれませんし、家康による“踏み絵”として、その役目を与えられたのかもしれません。正家は、三成の徳川屋敷襲撃未遂のときに家康側に付かなかったので、踏み絵を踏まされる可能性はあると思います。
ただ、正家として、踏み絵を踏んでおいて再起を図るという算段なのか、もしくは、長いものに巻かれるしかなかったのかは分かりません。あるいは、裏では必死で動いていて、三成の処分を何とか蟄居で納めたというストーリーもあり得る。
だから、三谷さんが書いてくれた「お察しいたす」というせりふは、いろんな感情を込められる分、難しかったです。悔しかったし、切ない思いもありましたが、どこかで「切腹じゃなくて良かったね」という気持ちもあるんです。
「国を召し上げられたわけでもない。そこから出直せばいいじゃないか、三成君」と、そんな思いも感じました。
――三成が秀吉への思いから過激な行動を起こしていくのに対して、正家は穏健派といえると思います。直接の絡みはないですが、正家は秀吉に対してどんな思いを持っていたと想像されましたか?
確かに直接の絡みはありませんが、小日向さんとは結構擦れ違うことができました(笑)。そんな時も必ず声をかけてくださって。僕は「オケピ!」という舞台の再演('03年)の時に初めて、三谷さんの稽古場に付いたんですが、そのときに小日向さんが出演されていて。
「すごく、すてきな役者さんだな」と思って見ていたので、打ち上げの時に思い切って一緒に写真を撮らせていただいたんです。そのときにいただいた一言を今でも覚えています。その言葉を胸にやってきたんです。
今も僕が演劇界にいられる、その恩人みたいな人。だから、それから13年たって、同じ画面に映ることはありませんが、やっと同じ場に立てたということがすごくうれしかったです。
なので、正家の秀吉への思いというのは、そのまま僕の小日向さんへの思いがリンクしています。“本当に温かくて、すごくお世話になった人”。もちろん、冷徹な面も見ているのかもしれませんが、正家からすれば、とにかく恩を返したいという一心です。
だから、秀頼に何とかつなぎたい。ここから15年くらいを、なんとか平穏無事にやり過ごして、秀頼につなぐことが目的なんです。それが三成との違いかもしれませんね。
――今回の長束正家役は、役者人生にとってどんな役として残りそうですか?
実在の人物を演じるということで、ご子孫の方とお話しできたり、その居城跡を訪れる事が出来たり、長束正家が実際に生きていた痕跡みたいなものを感じてお芝居できたのはとても楽しかったですし、時代を越えた交流ができた気がします。
また、そういう経験が大河ドラマという大きな舞台でできて本当に有り難かったです。
この先、自分の中にこの役がどう残るか分かりませんが、今回あらためて、役者を続けていきたいと強く思う事ができました。いまこの年齢で、この役に出合えて本当に良かったなと思います。
――最後に、「真田丸」の長束正家の見どころをお願いします。
長束正家のようにスポットライトの当たっていない人たちが、実は歴史を作っていたんだということが一番の面白みだと思います。
正家も、これだけの地位にありながらほとんど知られていませんし、面白みがない人だと思われるかもしれません。でも、徳川にも近くて、西軍に付いた関ヶ原では動かず、最後は腹を切る。たぶん「助けてくれ」って言えば、助けてもらえるくらいの能力はあったと思うんです。
実際、五奉行で命を落としたのは正家と三成だけですから。それなのに、潔く切腹してしまう。知れば知るほど面白い人だなと思います。
「真田丸」には、そういう人たちがたくさん登場しますが、正家にも興味を持ってもらえたらうれしいですし、これをきっかけにぜひ水口にも行ってみてほしいです。僕も初めて行ったのですが、日本って知られていない良いところが本当にたくさんあるんだなとあらためて思いました。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)