――まひろとして文字を書いていたときと、紫式部として「源氏物語」を書くときとで文字が変わったり、書の練習が変わったりとかはありましたか? また、書道指導の根本知先生から何かアドバイスなどはありましたか?
まひろとしてはかなが多い人なので、かな文字を中心にやって、道長との文通では漢字をやったりしましたけど、これからはかなと漢字を両方やるので、集大成が始まるなという感じがありますね。「源氏物語」はかなも漢字も両方出てきますし、現代ではあまり使われていない変体仮名も出てきますし…。
不思議なのが、その変体仮名も読めるようになってきちゃってるんです。もう身に付いちゃってるのが怖い(笑)。書に対するプレッシャーもありましたけど、わからないものを覚えていく楽しみもありましたし、できないことができていくという、10代の頃に見ていたような自分の成長が30代半ばでまた経験できるとは思ってもなかったので、すごくワクワクすることもあります。ただ、それを本番でやらないといけないので、公開テストみたいな感覚でおびえながらやっていますが(笑)。
根本先生は私の字の癖を理解したうえで「こっちの字の方が相性よかったね」とか「ここはこういうふうにやってみよう」とかいろいろ組み合わせて字を考えてくださるので、ゴルフでいうキャディーみたいな感じで頼もしいです。
書ってすごく孤独で、練習時間は膨大なのに撮る時間は30秒もしないうちに終わってしまったりするんですけど、家で練習しているときの孤独さとかを一番わかってくれているのは根本先生かなと思うので、すごく相棒感が強いというか、一緒に挑戦している感じがうれしいですね。
――ドラマの前半では書以外にも琵琶や宋の言葉などいろいろと挑戦されましたが、その中で一番苦戦したのは何ですか?
いっぱい挑戦しましたね。乗馬もやりましたし…。私、一番初めの会見のときに「馬に乗って現場に入りたい」とか言っていたんですね。今、そのときの私に「ふざけんなよ!」って言いたいくらい、乗馬って難しかったです。やっぱり馬の感情の起伏もあるし、ジョッキーってすごいんだなと改めて思いました。
でも一番苦戦したのは、やっぱり書かな。思ってもない方向に線が行ってしまったりするんですよ。あとは、やっぱりみんなが注目している部分でもあるし、この役をやる醍醐味でもあると思うので。きっと書に対する視聴者の方の目線も他とは違うと思うので、そこはやっぱり緊張しますね。
――後半で何か挑戦したことはありますか?
後半は子どもとの向き合い方とかですかね。自分の幼いころと父の為時(岸谷五朗)との関係性を、自分も子どもにも同じことしちゃっていたりするし、自分だけのことならできる、できないの理解もあるかもしれないけど、人対人となると、何でこうなるんだろうと思ったり…。子どもを育てるって初めてのことがいっぱいですからね。
あとは、物語が思い浮かぶときと、全く思い浮かばないときとの作家としての悩みが後半は出てくるのかなと思います。
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