“奇界遺産フォトグラファー”佐藤健寿が、コロナ禍での生活、旅のエピソードを語る!<クレイジージャーニー>
バーニングマンは取材自体がとても難しい
――佐藤さんは世界中を巡る写真家ですが、コロナ禍で生活はどのように変わりましたか?
1年のうちトータルで3~4カ月は海外という生活が10年ぐらい続いていましたが、昨年2月にサウジアラビアから帰って来てから、この状況ですからね。海外に1年以上行かないのは、この20年で初めてです。
自分が好きで行くわけですが、仕事でもあるので、常に追われている感覚があったんです。だからコロナ禍で強制的にそれができなくなったのは、ちょっと新鮮でした。この機会に、それまで出来なかった本作りの準備をしたり、歯医者に行ったり、いろいろ落ち着いてできるなと。思えば10年以上、人間らしいことをしていなかったので(笑)。
でも、半年たってもコロナの収束が見えなくて、さすがにどこでもいいから外に出たいなって思いましたね。それで、家でできる原稿書きをビジネスホテルに行ってやって、自分の中に無理やりアウェイ感を出したり(笑)。
写真集「奇界遺産3」も無事出来上がりまして、これには『クレイジージャーニー』が同行してくれた場所もたくさん入っています。不思議なことに、今思い出すのは撮影したすごいモノ(奇界遺産)よりも、泊まったモーテルのこととかちょっとしたことなんですよね。そういう何気ない一つ一つがすごく懐かしい。もちろんコロナが収束したら、行きたいところがたくさんあります。
――今回、「クレイジージャーニー」が同行した奇妙なイベント「バーニングマン」のことを教えてください。
放送を見ていただくとわかると思いますが、どんなイベントかを説明するのがすごく難しいんです。アート作品を作るクリエーターもいれば、会場でキャンプ生活を楽しむ人もいる。バーニングマンは商業的に利用されることを拒否しているので、実は取材自体がとても難しい。
今回、テレビの取材許可をもらうためにスタッフが何度も粘り強く交渉して、ようやくOKになったようです。恐らく、あの広大な会場全体の雰囲気をここまでまんべんなく収めたのは初めてではないでしょうか。なので、その空気感をぜひ感じてもらいたいですね。貴重な映像です!
取材したのは一昨年で、僕自身も撮影していてすごく楽しかったし、面白い旅だったんですよ。だから今回放送できることになってうれしいです。
エリア51、ナスカの地上絵、雪男を求めてネパールへも
――バーニングマンの前にエリア51にも行かれていますね。UFOで有名になったアメリカの秘密軍事施設のエリア51は、佐藤さんが奇妙なモノを撮影するきっかけになった場所ですね。
そうです。子どもの頃、矢追純一さんのUFO特番とかを見て、何なんだろうと思ってました。アメリカ留学していた時に「何でもいいからアメリカの州を撮影しなさい」という課題が出て、ふとそのことを思い出したんです。
当時サンフランシスコに住んでいたので、エリア51があるネバダ州は近いから行ってみたら、すごく面白くて。そこからですね、こういう撮影を始めたのは。
“子どもの頃に気になっていたシリーズ”みたいな感じで、その翌年には南米でナスカの地上絵を撮って、その翌年にはヒマラヤには雪男がいたなと思ってネパールへ。そういう場所に行って話を聞くのも面白いし、写真を撮るのも面白い。それを続けていたら本になって、こういうテレビの仕事にもつながりました。
自分がただ好きでやっていることがまさか仕事になるなんて思わなかったし、仕事になったら今度は奇妙なモノを追いかけることが後に引けなくなってしまった(笑)。それが正直なところなので、なんでこんなことが仕事になっているんだろう?がいまだにあります。