コロナ禍での開催となった「まさゆめ」
――こだわりが詰まっていたんですね。そんな「まさゆめ」ですが、コロナ禍での開催となったことで苦労された点などもあったのでは?
「まさゆめ」は“圧倒的な他者”の顔を浮かべることによって、人間の存在を問うような作品です。約3年かけて計画してきたのですが、この状況で開催するというのは、いろんな戸惑いもあって…考えがまとまらない時もありました。その時、一緒に活動している「まさゆめ」事務局のメンバーから、作品の原点に立ち戻されるような言葉の数々をもらい、とても助けられました。この困難な状況の中で、いかに主体をこえて、想像力を持って、もう一度この世界を見ることができるか、という作品のコンセプトを、突き返された気がして…みんなで実現させるんだな、ということを覚悟した瞬間でした。
――なるほど!
コロナ禍で変更した点は、開催方法ですね。この状況だからこそ、主体的に出来事に遭遇してもらいたいという思いがあって、浮上日時や場所を予告せず開催するかたちをとりました。
日時や場所が予測できていなかったことで、事前に計画して作品を見に行くという状況とは違って、例えば街中でランニングをしていた人がふと空を見上げて「誰!?」ってなったりとか(笑)、誰かがTwitterに上げた動画やニュースを通じて見るということも含めて、見る人それぞれに固有の極めて主体的な鑑賞体験になりうると思うんです。“遭遇性”という意味でも、より鑑賞者の主体性に迫る可能性のあるものになったかなと思います。
――コロナ禍を受けて、荒神さんの芸術活動で変わった部分はありますか?
作品自体や、やりたいことは変わらないのですが、「他者」についての意識が変わってきたという感覚があります。例えば、危機的な状況になってくると、周りが気になるじゃないですか。例えばレストランで食事をしているときに地震が起き、周りを見渡して、周囲のお客さんと「どうしたらいい!?」みたいな一体感が生まれる、といった状況のように。
大きな出来事をそれぞれが主体的に捉え、瞬時に力を持ち寄って、助け合ったり共感したりする瞬間。それまで「他者」だった人々が、個人のままでありつつ、一つになる瞬間にどこか創造的な可能性を感じています。