選手生命の危機にある中で“怪物”に挑んだ佐野友樹
圧倒的な強さと攻守両面においてスキを見せない完璧なファイトスタイルで、日本のみならず世界のボクシングファンを魅了する井上尚弥。今では顔と名前も広く世間に知られるようになり、人気・実力ともに現在の日本ボクシング界においては別格の存在となっている。
そんな井上はデビュー前から破格の存在だった。「高校三冠」と呼ばれるジュニアオリンピック(選抜)、インターハイ、国体の3大会を計5回にわたって制覇。さらに、インドネシアで行われた国際大会「プレジデントカップ」や全日本選手権も制し、高校生として史上初の「アマ七冠」を達成する。
粟生隆寛や井岡一翔といった後の名王者たちが成し遂げた「高校六冠」を上回る快挙ゆえに、デビュー戦から地上波でのテレビ放送が組まれるなど高い注目を集めていた井上は、プロ初戦から見る者の想像を上回る結果で勝ち進んでいく。そんな中で対峙したのが、今回番組で取り上げた二人のボクサーだった。
井上のプロ3戦目の相手を務めたのが、当時31歳の佐野友樹。アマチュアで70戦近く、プロでも23戦という豊富なキャリアを誇るベテランは、井岡一翔、高山勝成、宮崎亮ら世界チャンピオンとなったボクサーたちと何度もスパーリングを行い、自らも日本王座への挑戦経験を持つ日本ランキング1位の強豪だった。
それでも、プロデビュー以降の2戦で海外選手を相手に完璧なKO勝利を収めてきた井上の勝利を疑う者は少なく、もはや「井上が何ラウンドでKOするか」が争点となるほど。その試合で佐野は井上に初めて「フルラウンド」を経験させ、最後はレフェリーに試合を止められたもののリングに立ち続けた。
その激闘の裏にあったのは、プロボクサーの職業病とも言える目の病気と妻の存在。キャリアの終わりが近づく中、佐野に日本タイトルよりも井上との戦いを薦めた妻の先見の明には恐れ入るばかりだが、井上にしてみれば拳を痛めた中で最終ラウンドまで戦ったこの試合は自らをより強くさせたとも言え、佐野は“怪物”の成長を促進させたのかもしれない。
そんな佐野が井上について「怖い」と語った部分が、パンチの強さでも正確性でも、ラッシュをかける際の追い込み方でも無かったことは興味深い。“怪物”とリングで対峙し、互角に渡り合ったことは彼の人生の財産となっていたが、その体験を後輩たちに伝えていくこともまた、彼の重要な仕事となるのではないだろうか。
大きな挫折を糧に世界チャンピオンまで上り詰めた田口良一
佐野は2度のダウンを喫し最終的にTKOとなってしまったが、初めて井上の強打に一度も倒れることなく判定まで引きずり込んだのが田口良一だった。そんな田口は、2013年に日本タイトルマッチで戦う前年に一度スパーリングで井上と拳を交えていた。
当時ライトフライ級で戦っていた井上は、普段のウエートから階級のリミットまでかなりの体重を落としていた。それにより減量からのリカバリーが十分ではなく、試合では本来の強打を発揮しきれていない部分もあったと言われている。
その点、減量に入る前のスパーリングではパワフルなパンチを連発し、毎回のようにスパーリング相手を圧倒。田口もその一人で、スパーリング用の大きなグローブとヘッドギアを付けた状態にも関わらずプロデビュー前の井上にボコボコにされてしまう。
予定のラウンドすら消化できずに倒されたことにショックを受けた田口は、スパーリング後に裏で人知れず涙を流すほどだったという。それでも彼は、そのスパーリングを糧にしてトレーナーとボクシングへ向き合う姿勢を一から見つめ直していく。
翌年日本チャンピオンとなると、田口は初防衛戦で迷うことなく井上と戦うことを選ぶ。そうしてたどり着いた井上との“再戦”で、田口はフルラウンドの激闘を展開。試合には敗れたものの、「あの井上尚弥に倒されなかった男」として一躍その名を知られる存在となる。
そして翌2014年末に世界チャンピオンとなり防衛を重ねていくが、彼は「相手は井上尚弥より強くないから大丈夫」と自分に言い聞かせていたという。つまりは井上との二度にわたる戦いが田口を支えていたわけだが、対戦相手に「絶望」と「自信」を与える井上尚弥という存在の大きさに改めて驚かされた。
3月22日(火)夜9:00-10:00
BS12 トゥエルビにて放送
https://www.twellv.co.jp/program/documentary/bs12-sp/archive-bs12-sp/bs12-sp_08/