<アンタウォッチマン!>が火曜の夜に枠移動 初回は“元祖破天荒芸人”野沢直子のターニングポイントや渡辺直美との秘話に迫る
「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」(毎週火曜夜11:45-0:15ほか、テレビ朝日系)が、10月11日(火)から火曜夜に枠移動し、新たなスタートを切る。
芸人の激動イヤーを探る新企画が誕生
同番組は、アンタッチャブル×サンドウィッチマンというタッグが実力刃(派)芸人たちを紹介する前身番組「お笑い実力刃」から進化を遂げ、2022年4月にスタート。
さまざまな証言者=“ウォッチマン”たちの証言を基に、確かな実力を持つ芸人や気になるお笑いムーブメントを深掘りしていく。
枠移動初回から新企画が登場。関係者の証言を基に芸人の人生で最も揺れ動いた一時代を切り取るシリーズで、記念すべき第1弾は「1991年の野沢直子SP」。“元祖破天荒女芸人”野沢直子の1991年にスポットを当てる。
破天荒レジェンド芸人・野沢直子を特集
子どものころから人を笑わせるのが好きだったという野沢は、1984年、声優の叔父の紹介で、東京よしもと唯一の所属芸人に。デビューわずか3カ月でレギュラー番組を持ち、芸歴2年目にはレギュラー番組が3本に拡大。
予測不能な破天荒ボケや奇抜なファッション、音楽でも注目を集め、瞬く間に人気者になった。そんな野沢の新人時代のハチャメチャぶりを、テリー伊藤が証言する。
順風満帆な芸人人生を歩んでいた野沢にとって転機となったのが、1988年にスタートした番組「夢で逢えたら」(CX)。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコらと切磋琢磨したコントバラエティーで、深夜の放送ながら高視聴率を獲得していた。
ところが人気絶頂の1991年、野沢は突然番組を降板し、アメリカ行きを宣言。一体なぜアメリカ進出を決めたのか、当時の衝撃を、大親友・清水が激白。野沢本人も自身のターニングポイントを振り返り、決意の裏側にあった苦悩を告白。芸人人生で最も揺れ動いた時期について語る。