テレビは未来永劫メディアのヒーローであってほしい
──その「オールスター家族対抗歌合戦」は昨年、BSフジで30年ぶりにスペシャル番組として復活を果たしました。8月19日(土)には待望の第3弾が放送されますが、久しぶりに「家族対抗歌合戦」を制作してみて、いかがですか?
「出演しているのは今の芸能人だし、歌う歌も30年前とは違うし、今の時代の番組として成立させるために、それなりの工夫は必要だと思いますが、ポリシーは絶対に変えちゃいけないと思っていて。30年ぶりにやらせてもらえて本当にありがたくて、当時大事にしていたコンセプト、手法は変えずにやっています。ただ、何か一つ当時に戻りきれない部分があって。今まで2回やりましたけど、その正体不明の壁が、いまだに破れていないんですね。昔のように、熱気があって爆発しそうな本番の感覚がどうすれば戻ってくるのか、今模索しているところです。
それと同時に、70歳を越えた今の僕の感性や価値観がまだ通用するのか、チャレンジしているという意気込みも当然あります。こういう番組は、『NHKのど自慢』(NHK総合ほか)と同じように、ずっとやっていてもいいんじゃないか、もっと言えば、いつまでも続くべき番組なんじゃないか、と。30年前、まだ視聴率はそこそこ獲れていたのに、いろいろと考えて終わらせることを決断したんですけど、あのまま続けていてもよかったのかなと思うことも正直あるんですよね」
──80年代後半以降は、浜口さんはスポーツ局へ移られて、「プロ野球ニュース」や「F1グランプリ」などを手掛けられました。また2000年代に入ってからは、社団法人デジタル放送推進協会(D-pa)の理事に就任。地デジ推進のための諸策に携わられました。
「1987年にスポーツ局に異動、『プロ野球ニュース』の世代交代を命じられました。90年代になって、それまでプロ野球一辺倒だった『プロ野球ニュース』を、モータースポーツ、サッカー、格闘技、陸上競技、そのほかスポーツ全般を扱う情報番組として構造改革をしました。その後、2003年にデジタル推進協会に移って、テレビがメディアシステムとして生き残れるかどうかという分水嶺だった“2011年完全デジタル移行”という大仕事に関わりました。いずれも、自分の職歴としてはうれしい話ですよね。バラエティー20年、スポーツ15年、最後の10年はデジタル移行と、テレビマンとしてとても充実した日々を過ごさせてもらったと思っています。
だからこそ僕は、テレビが廃れていくのは嫌で、テレビには、未来永劫メディアのヒーローであってほしいんです。まだまだテレビに対する社会のニーズはあると思うし、社会への影響力もあると思う。作り手も、テレビの可能性をもっと探っていかないといけない。僕自身、テレビが世の中に貢献するために何が必要なのか、今後もいろいろと提言していきたいと思っています。実は僕、テレビ制作の仕事から離れたら、テレビ評論家になりたいと思ってるんです(笑)。それが結果的にはお世話になったテレビ界への恩返しにつながっていくと思うので」