KAT-TUN・亀梨和也が、10月28日に自身のYouTubeチャンネルを更新。「【人生年表】生まれてから事務所に入るまで。亀梨和也の人生を年表形式で紹介します!」と題した動画を、当時の写真とともに公開した。
「こだわりの強い子で、厄介だっただろうなと思って(笑)」
亀梨家の三男として誕生し、幼稚園では「とにかく活発な子だった」という亀梨は、「37年間を振り返っても、この時が一番モテました。園内はもちろん、お母様方から、自分で言うのも何なんですけど絶大な人気を集めていましたね(笑)」と、「人生最大のモテ期」が訪れていたことを報告。
バレンタインの時期は、「冷蔵庫の一番下の野菜室にドンッと『和也』と書いてある袋があったのを記憶していますね」と、冷蔵庫の一部を占拠していたことを明かし、「すいません虚言だったら(笑)。でもね、ちょっと人気者だったの」と笑った。
また、お遊戯会では主役か準主役をやることが多く、通信簿に書かれた先生からのコメントを披露しながら「和也くんは、このせりふはこういうふうに言いたくないとか、すごいこだわりの強い子ですみたいなことが書いてあって、厄介だっただろうなと思って(笑)」と苦笑い。
しかし、「これは多分今と変わんない。(台本を)開いて納得出来たらなんでもやるし、どれだけ自分が辛くてもやろうと思うんですけど、納得、理解そういうものがちゃんと出来ないと…」「この頃から僕は変わってないんだなと」などと、現在の自身についても語った。
「初めて自分で両親に何かをやりたいと言ったのが野球だった」
その後、小学校1年生で、近所のお兄さんたちのキャッチボール姿を見たことから、「初めて自分で両親に何かをやりたいと言ったのが野球だった」と語り、野球チームに初めて参加した時のことを「初めてだから下手くそなんですよ、打てないし取れないし」と今でも覚えていると回想。
その際、上手に出来ないことをグローブのせいにする亀梨に、必要なのは練習だと諭した両親から「上手になったら専用のグローブを買う」と約束をしてもらい、それを励みに、ひたすら練習を頑張ったこと、そして小学校6年生で軟式野球の世界大会に出場したという芯の強さを感じさせるエピソードも披露した。
その流れで、中学時代の夢は「プロ野球選手」だったという亀梨は、理由の1つに、家がそれほど裕福ではなかったことも挙げ、「僕としてはそれに不満があったわけではない」としながらも、「好きな子が出来た時に自分の家を知られたくなかった」と思春期ならではの思いも吐露。
新聞に入っている家の広告を毎日眺め、「(野球選手になって)両親に大きいお家を建てたいっていうのがエネルギー源になっていた」と語る一幕もあった。