福山は見られることを養分として巨大化したモンスターなのかもしれない
大きなカタルシスをもたらした後、制作当時を振り返って「“売れたい”が、“目的”だった。いつしかそれが“手段”になっていきました」と福山。「長く続けていくためには結果を出さなければいけない。なぜ続けたいか?と言うと、続ければ“良くなる”と思っているから。最新こそが最良なんです」と持論を論理的に解き明かしていく。
もちろん、「続けられているのは皆さんのおかげ」とファンへの感謝も忘れない。「これからの30年間も、よろしくお願いします。その頃僕は84歳になっていますけれども」と冗談めかして笑った。この発言は、後の伏線となっていく。
望み通りヒットシンガーになった栄華を謳歌するように「MELODY」、「Message」を華々しくパフォーマンスした後、ムードは一変。バックドロップモニターに浮かび上がったのは、狂気、悪意、中傷、人生を全て売る…といった物騒なワードの数々だった。
黒いエナメルコートをまとって姿を現した、まるでダース・ベイダー闇黒卿のような福山は、「Marcy’s Song」(『Calling』収録曲)を苦悩のにじむ眼差しで歌い奏でていく。
“闇落ち”した自分自身を客観視し、ネガティブな要素として隠したり切り捨てたりすることなく、表現に落とし込んでしまう貪欲なメンタリティーは、どこか常軌を逸しているようにも思える。
福山雅治とは、見世物として身を捧げ、見られることを養分として巨大化してきたモンスターなのかもしれない。
これまでの人生で味わってきた、“光と影”を表現
大きな口を開け鋭い牙をむく、まさにモンスターのアニメーションがスクリーンに映し出される中、「ステージの魔物」のパフォーマンスでは更に闇の濃度を高め、地獄の底を映したような虚無の眼差しにゾッとさせられた。
ラストで特効が爆ぜ、煙が立つステージで始まった「妖」では、雄弁なハンドモーションを交えながら、ミステリアスにパフォーマンス。とりわけ顔の半分を掌で覆う仕草からは、虚実を行き来する人間の心模様を深読みしてしまう。
ここまでの5曲は、若くして栄誉を手にした稀代のポップスターが人生で味わってきた希望と絶望、光と影をセットリストという形で再構築し、それを脚本とした一人芝居を俳優として上演しているかのように見えた。ライブの枠を超越し、ミュージシャンと俳優の2つの顔を持つ福山雅治ならではの、他に類を見ない、どこか摩訶不思議な印象も残る意味深長なブロックだった。