プロレス、F1、夜のヒットスタジオ…古舘伊知郎が“マイク一筋40年”のアナウンサー人生をプレーバック!
報道の世界に進出して新たな“古舘節”を模索!
あえて相手を刺激する言葉を投げかけ、反応を見て本音を引き出す。いかにもプロレスを通ってきた古舘流だが、2度目の転機となった'04年の「報道ステーション」(テレビ朝日系)就任以降は、そんなケレン味たっぷりの古舘節を建前上“封印”。バラエティーへの出演も一切断ち、報道キャスターとしての“古舘的あり方”を追求することになる。
「先ほど、実況を通じてプロレス的視野に目覚めたと言いましたが、それが『報道ステーション』で世の中を見渡す視野へと見事につながったんです。物事は表と裏でひとつでしょう? だから今流れているニュースにも背景があって、表をまるまるは信用しないことですね。ただ報道では、バラエティーと違って自分の想像でものを言えないんです。見ている人に誤解を与えてはいけませんから。だからよく使っていたのは、嫌なフレーズですが『ここからは僕の妄想に過ぎないと思うんですが、こういうことってないですか?』と解説者の方に聞いてみる。否定されたら『そうですか、妄想ですか』と息をついて、次のCMなり女性アナウンサーなりに切り替わる、その瞬間に何かを込める(笑)! それはもう、僕の呼吸をいつも読んでくれたスイッチャーさんに大感謝でしたよ」
そして'16年春、結果的に12年という長い月日を“報ステ”に捧げた彼が、バラエティーの舞台にカムバック。その3度目の転機に、手ぐすね引いて待っていた世のバラエティー制作陣はさぞや沸き返ったことであろう。各局の人気番組をゲストとしてハシゴする彼の喜々とした姿は目を引いたし“解禁”後まもなく「フルタチさん」(’16年~’17年フジ系)をはじめとするレギュラー番組が次々に決まったのだから。
「やめた開放感で、調子に乗ってましたね~。でも正直、浦島太郎ですよ。12年間ずっとニュース漬けでしたし。当たり前ですよね、それくらいやっていないととても自分がこなせるような番組じゃなかったし、そこに埋没させてもらっていたんでね。イマドキのバラエティーのテンポ感、編集、スタジオをわーっと芸人さんが埋め尽くす感じとか、ちょっとまだ慣れていないところがあります」
だが長い間、発露を得られず溜まりに溜まっていた彼のアイデアや火種は、これからも爆発の余地がありそうだ。
「まだ欲がたんまりあるんです。出来る限り現役でしゃべりながら、コトンと死んでいきたいなっていう、変なセンチメンタリズムも。しゃべりながら死んでいけたら、最高じゃないですか。死んでいるのに気づかないで『さぁ冥土の旅に今、旅立っております』って実況したいくらいですよ。『いよいよ出棺であります。最期の花を手向けてください』とかね。そのくらいの欲はあるんですが、さて極東アジアの安寧も守られないこの混沌の中で、大国同士が今どんな駆け引きを行っているのか、世の中の表と裏、全く何が何だか!ってなかで、テレビの未来を予見なんて、出来ないんですよ! もう、バラエティーの迷子です。でも自分はたまさかスポーツ実況だ、ニュースだ、歌番組だ、クイズの司会だと、いろんなことをさせていただいてきたので、寸胴鍋で40年かけた、いい“ごった煮”になってはいると思うんですよ。居酒屋で煮込みを食べてきた吉田類さんに来てほしい!みたいな。だからニュースの後にトークやって、歌、ドラマ、またニュースっていうのを1枠でやるような、ごった煮的な番組も面白いかもしれませんね。企画書はまだないけど、欲だけはあるんで(笑)、やれる所まで、やって行きたいですよ!」