綿密な取材&CG技術で“1950年代の端島”を完全再現…野木亜紀子氏×塚原あゆ子監督が語る「海に眠るダイヤモンド」制作秘話

2024/10/23 12:00 配信

ドラマ インタビュー

1950年代の端島を描くため行った1年の綿密な取材


――制作にあたって、かなり取材を重ねられたそうですね。

野木亜紀子(以下、野木):脚本執筆のため、昨年の夏頃から1年くらいかけて取材をしました。塚原さんとプロデューサーの新井さんは他作品の制作もあり事前取材の参加が難しかったのですが、取材が十分にできないまま描くことはどうしても避けたかったし、1人での取材には限界があるので、長崎県出身の林啓史監督(大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019年、NHK総合ほか)など)に協力をお願いしました。

実際に長崎を訪れて元島民の方々への取材を行ったのですが、80代の方が中心で皆さん長崎弁を話されるので、よそ者の土地勘もない私だけで取材に臨んでいたらかなり苦労していただろうなと思います。林さんがいなければ今回の作品は成立していません。

――最初に端島に訪れたのはいつ頃ですか?

野木:実は端島が世界遺産に登録される前に、一度プライベートのバイク旅で訪れたことがありました。当時はまだ観光地化されておらず、「軍艦島ミュージアム」などもなかった頃。なので、島には上陸したのみでした。

二度目は新井さんとたまたま訪れて、元島民の方のガイドを聞くことができ、「これはドラマになるかも」と感じました。島には水源がなく生活がとても困難で、今では考えられないような環境での暮らし。そんな状況の中を生き抜く人たちの姿は、今を生きる人たちにどう映るのかなと思ったんです。このとき新井さんと訪れていたから今回の企画が生まれました。

――日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅があった端島。建物などの印象はいかがでしたか?

野木:今では本当にボロボロになっていますが、コンクリートの塊がしっかり残っていて、そのビジュアルのインパクトがすごかったです。

ただ、ドラマとして当時の端島の風景を再現するには、日本中から似ている場所を探して合成する必要があるわけで…塚原さんが「そもそも似ているところがない!」と苦心しています。

塚原あゆ子(以下、塚原):そうなんです。今まで多くの作品でロケ地を探してきましたが、今回は特に頭を悩ませています。

広さでいえば、新宿駅ほどの面積にさまざまな施設が凝縮され、約5000人もの人が集まって暮らしていた端島。そんな特殊な場所は現代には存在しないので、どこで撮影するにしても何かを付け足さないと成立しないんです。