笑福亭鶴瓶が波乱万丈の芸人人生をプレーバック「若手のころは無茶苦茶!今で言うと江頭2:50が近いかな!?」
週刊ザテレビジョン創刊35周年のメモリアルとして、本誌を彩ってきたテレビスターたちがテレビとの思い出を語るSPインタビュー企画を連載中。第4弾に登場するのは、トークやロケ番組から俳優まで幅広く活躍し、嫌いな人はいないといわれるほど老若男女に愛されている芸人、笑福亭鶴瓶。そんな彼にとってテレビは身近なモノだったという。
落語家ではなく“ラジオ家”だった若手時代
「子供時代は、藤田まことさんや白木みのるさんが出てた『てなもんや三度笠』(’62~’68年TBS系)に夢中になっていましたね。実は(笑福亭)鶴光さんが僕の実家の近所の人だったんですよ。そんな兄さんが夕方の番組の司会をされていたのでテレビは憧れとかではなく、身近な存在というイメージでした」
大学で落語研究会を立ち上げた鶴瓶。しかし、落語ではなく人を笑わすことが好きだったとのこと。「古典落語を好きな友達がいて、そいつと一緒に始めました。落語なんてよう分からんけど、笑わせたりしゃべるのが好きで。あと、(笑福亭)仁鶴兄さんや(桂)文枝兄さんのやっていたラジオが好きで聞いていましたね。その後、仁鶴兄さんの出ている落語を聞きに行って師匠(笑福亭松鶴)の弟子になったといういきさつで…。あの2人が好きだったから落語家になったという感じです。ただ入門しても師匠から稽古をつけてもらっておらず…。師匠に教わってもいないのに落語をするのはちょっと違うと思っていました。本格的に落語をやろうと考え始めたのは、50歳のときに(春風亭)小朝さんに誘われて『六人の会』(東西や協会、流派の枠を超えて集まった落語家ユニット)を結成してから。それまでは自分のことを、落語家ではなく“ラジオ家”って呼んでいましたから(笑)」
“ラジオ家”の異名の通り、「MBSヤングタウン」(’75~’88、’99年~MBSラジオ)ではラジオスターとして爆発的な人気を誇り、東京では“大阪に鶴瓶という面白い人がいる”と話題になるほど。同時に「独占!男の時間」(’75~'77年テレビ東京系)などテレビでの活躍の場を広げていった。「ラジオはそのまんま。座ったら自然にしゃべれるという感じです。対してテレビはいろんな制約があっていつもの自分とは違うというか。またゲストも有名人が多く、気を使ったりもしました。当時の僕は無茶苦茶な人として知られていたんですよ。今でいうと、江頭2:50が一番近いかな?(笑)とにかく暴れなきゃいけないと思っていましたから。そしてそういうことをすると番組のメーンの山城新伍さんが笑ってくれる。山城さんのために無茶なことをいっぱいしました」
無茶なことのひとつに、お茶の間を震え上がらせた“開チン事件”も。「何で出してしまったんでしょうね(笑)。本当にアホみたいなことで…。『何かよう分からんけど、面白い』と言われているけど、それを表現できない自分に腹が立っていたんでしょうね。その結果、ペロッと脱いでしまった…。あれは今から40年ほど前でしょ。あの時代だから良かっただけで、今やったらもう大変でしたわ。ちなみに、山城さんは思いっきり笑ってくれましたが、アッコ(和田アキ子)さんは、すごく怒っていましたね。女性みたいに『キャー』って言って(笑)」
また、大阪と東京のテレビ制作の違いも悩みのひとつだったという。「大阪は理解して使いたいと言ってくれて、僕のやりたいようにやらしてくれるんですよ。初めての冠番組『鶴瓶のミッドナイトトレイン』(’76年カンテレ)やその後に始めた『突然ガバチョ!』(’82~’85年MBS)なんて、観客集めから自分たちでやりました。もちろん制作会議には朝まで参加して。演者というより、作り手の一人という気持ちが強かったんです。しかし東京は企画に乗らなきゃアカン。根本的に違うんですよ」
12月7日(木)~10日(日)
東京・TBS赤坂ACTシアターにて開催
※一般チケット発売は10月7日(土)より
■笑福亭鶴瓶のレギュラー出演番組
●「鶴瓶の家族に乾杯」
毎週月曜 夜7.30‐8.45
NHK総合
●「ザ!世界仰天ニュース」
毎週火曜 夜9.00-9.54
日本テレビ系
●「チマタの噺」
毎週火曜 夜0.12-1.00
テレビ東京系
●「きらきらアフロTM」
毎週水曜 夜1.00-1.30
テレビ東京ほか
●「桃色つるべ~お次の方どうぞ~」
毎週金曜 夜1.25-1.55ほか
カンテレほか
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