1月24日に公開を迎える映画『雪の花 ―ともに在りて―』。1971年に吉村昭によって執筆された「雪の花」を『雨あがる』、『峠 最後のサムライ』などの小泉堯史監督が映画化した本作では、江戸時代末期、猛威を振るった疱瘡(天然痘)により多くの命が奪われるなか、どうにかして患者を救いたいという思いで種痘頒布に尽力した町医者・笠原良策(松坂桃李)の信念が描かれる。今回、映画公開を記念して、笠原良策が作品に登場する『蘭医繚乱 洪庵と泰然』を執筆した作家・海堂尊氏と書評家・スケザネ氏(渡辺祐真)が対談を実施。作品の魅力や、メディアミックスで大切にしていること、コロナ禍を経ての社会の変化などについて語り合った。
『雪の花 ―ともに在りて―』の魅力を作家・海堂尊が語る!
スケザネ:書評家のスケザネです。今日は海堂さんと対談をさせていただきますが、高校生のときに『チーム・バチスタの栄光』などはすごく観ていたので、とても緊張しています。今日は来年1月24日に公開になります、小泉堯史監督の映画『雪の花 ―ともに在りて―』を巡って、いろいろとお話しをさせて頂ければと思っています。まずは『雪の花 ―ともに在りて―』をご覧になっていかがでしたか?
海堂:とても格調高い素晴らしい作品でした。緊迫感がありつつも人間ドラマとして優れていて、思わず見入ってしまいました。
スケザネ:この映画の主人公は、江戸時代後期に活躍した笠原良策という医師。その笠原さんを巡る物語なのですが、彼が疱瘡という当時不治の病だった病気に対して、種痘という今のワクチンを広めるために命を懸けるというお話。コロナ禍を経た我々にとって、非常に身近なテーマを描いていますよね。海堂さんは『蘭医繚乱 洪庵と泰然』で感染症を巡る物語を書かれています。しかも作中には笠原良策も出てきますよね。その視点から見て、どんなところに惹かれました?
海堂:このお話はいまの福井県が舞台なのですが、非常にリアルに再現されているなと感じました。江戸時代ですから、医学のレベルというのは非常に低いわけです。そのなかで天然痘に対応できる治療法として牛痘というものが発見されたのですが、社会の理解を得られない。それでも子供たちを疱瘡から救いたいという思いだけで、笠原良策は一生懸命導入しようと命を懸けるわけです。その悪戦苦闘ぶりが非常に真に迫っていて、まず胸に響きました。
スケザネ:当時の日本の医学は中国に由来する漢方が支配的で、ヨーロッパ、オランダから来た蘭医は警戒されていたところがあって、実際に牛痘というワクチンも劇中で「大丈夫なの?」という拒否反応はありましたよね。この原作は1971年に書かれたものなのですが、コロナ禍を経験した僕らからすると、すごく分かるなと感じるシーンが多いんですよね。海堂さんも『蘭医繚乱 洪庵と泰然』という作品を書かれていますが、執筆のきっかけは何だったのですか?
海堂:元々は、『奏鳴曲 北里と鷗外』という作品を書いたのですが、執筆のきっかけは北里柴三郎先生が、新1000円札になると聞いて、よく考えたら北里先生のことをあまり知らないなと思って調べて書き始めたんです。ところが調べていくうちに、緒方洪庵と佐藤泰然という魅力的な人物が浮かび上がってきて、こちらも書けるなと思ったんです。
スケザネ:『蘭医繚乱 洪庵と泰然』のなかにも笠原良策は出てきますが、『雪の花 ―ともに在りて―』の笠原良策との違いはどのように感じていますか?
海堂:一言でいえば、映画版は男前ですよね(笑)。
スケザネ:それは(映画で笠原良策を演じた)松坂桃李さんの力ですね。
海堂:僕が調べたとき、笠原良策先生の肖像は年を取ったお爺さんの時のものしかなかったんです。それを頭に描いた人物像だったので、映画を観て「こんな色男だったんだ」と驚きました。まあ冗談はさておき、笠原先生が福井で地に足をつけた苦労ぶりや、牛痘の輸送の部分などは文献を調べて分かっていたのですが、それが実際に血肉のあるものとして感じられたのは本作のおかげだと思います。