
6月24日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは、歴代最多3021試合出場を誇るレジェンド捕手・谷繁元信だ。MCの徳光和夫と遠藤玲子とともに、27年間にわたる現役生活と少年時代の紆余曲折や捕手転向のきっかけ、プロ入り後のターニングポイントといった波乱と努力に満ちた野球人生を語った。
記録づくめのキャリアに徳光も驚愕「とてつもない選手ですね」
横浜ベイスターズ・中日ドラゴンズで27年間プレーし、通算2108安打、捕手としての出場2963試合、さらには27年連続本塁打という世界記録を打ち立てた谷繁。その圧倒的な実績に、MCの徳光は「とてつもない選手ですね」と称賛を惜しまなかった。続けて、「そんな人だと思わずに付き合ってた」と笑いを交え、改めてその偉業をかみしめるように語る。
捕手という身体的・精神的な負担が非常に大きいポジションで、これだけの長期出場と記録を打ち立てた事実はまさに異次元。現役生活を通じて積み上げた数字の裏には、見えない努力と徹底した準備があったことは想像に難くない。
広島県東城町(現庄原市)出身の谷繁が野球を始めたのは小学校2年生のとき。地元のチームに加入してすぐに頭角を現し、小学6年生には県内で名が知られるほどになった。だが中学2年時にトラブルを起こし、父親の怒りを買って一度は野球部を退部。将来を嘱望されていた少年にとって、大きな挫折だ。
そんな谷繁を救ったのが、小学校時代の恩師の存在だったという。父親への謝罪の場を設けてもらい、再び野球部に戻ることを許される。「その方がいなかったら、ここにはいないかもしれない」と語るその表情には、今なお感謝の思いがにじんでいた。
中学卒業時には広島商業や広陵など地元の強豪校から勧誘があったが、本人が希望していた広島工業は公立高校のため入試が必要。“スカウトされたから合格は確実”と誤解していた谷繁は、まさかの不合格。そこで紹介を受けた島根県の江の川高校へ進学することになる。高校入学直後の練習試合で打ち込まれたことで、監督から捕手への転向を命じられる。
これが転機となり、谷繁は才能を一気に開花。2年連続で甲子園出場を果たし、3年夏の県大会では打率6割6分7厘、5試合で7本塁打という驚異的な成績を叩き出した。































