
10月7日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回の放送は広島東洋カープで名捕手として活躍し、数々の珍プレーでもファンを沸かせたレジェンド・達川光男がゲストとして登場した。MCの徳光和夫と遠藤玲子とともに、幼少期の野球との出会いや高校時代の壮絶なエピソード、ドラフト指名の知られざるエピソードまでを軽妙に語りつくす。
“カープ少年”の原点と恐怖を乗り越えた高校時代
達川は広島県広島市出身。幼いころから生粋のカープファンで、小学3年生の頃から球場へ足を運んでいた。当時は王貞治、長嶋茂雄の現役時代。野球中継を観ながらバッティングフォームを真似して遊ぶことも多かったという。しかし達川にとってのヒーローは、のちに広島の監督を務めた古葉竹識だった。しかも古葉の自宅は達川の通っていた小学校からわずか5分の場所にあり、「サインをもらいに家まで行ったこともある」と懐かしそうに振り返る。
当時、達川が通っていた学校には野球部やクラブチームがなく、軟式テニスボールで野球をしていた。柔らかいボールが大きく曲がることから「小学校からプロの変化球を打っていた感覚だった」といい、限られた環境の中でも遊びを通して自然と野球の感覚を磨いていったようだ。
中学を卒業した達川は、野球の名門・広島商業高校に進学。当初は偏差値が足りないため担任に反対されたというが、自らの意思を貫いて見事合格した。ところが野球部に入った翌日には“大変なこと”が起こり、新入部員が半分に減ったという。徳光が「何があったんですか?」と尋ねると、達川は「秘密です。記憶にございません」とお茶目な笑顔で返し、スタジオを沸かせるひと幕も。
広島商業では8カ条の「野球部心得」を1日で暗記するよう求められたり、返事や頭髪、服装に至るまで厳しい規律が求められた。また朝は6時登校、帰宅は深夜1時という過酷な練習三昧の毎日。「やめようとは思わなかったんですか?」と徳光が問うと、達川は「やめるのが怖かったんです」と当時の胸の内を明かす。恐怖心をエネルギーに変え、黙々と練習を重ねた高校時代をしみじみと振り返った。
チームメイトの仮病が生んだ転機…「ええ肩しとるのぉ」で捕手人生が始まった
高校に入学したばかりの頃、達川はレフトを守っていた。だがある日、捕手の同級生が仮病で休んだことから監督の指示でマスクを被ることに。そんな折、ボール回しを見ていた監督から「おまえ、ええ肩しとるのぉ」と褒められたことがきっかけで捕手へ転向したといい、意外な展開に徳光と遠藤は驚きの声を上げた。
その後は広商の左腕エース・佃正樹などの名投手とバッテリーを組み、キャッチング技術を磨いていった達川。「高校・大学時代からずっといい投手を受けてきた。特に佃や大野豊など左投手に育てられた」と語る。偶然のきっかけを努力でものにし、名捕手への道を切り拓く。なんとも胸の熱くなる話だ。
東洋大学を卒業後、幼少期からの憧れだったカープからドラフト指名を受けた際の心境を尋ねられた達川は「甲子園で優勝した時より嬉しかったね」と満面の笑み。一方、プロ入りを目指すにあたってドラフト指名の“順位”にこだわる選手も少なくない。達川が4位指名という結果であったことを振り返ると、達川は「何位でもよかったですよ。6位でも8位でも」と当時の正直な気持ちを明かす。
ちなみに当時のドラフト会議は2位指名までしかテレビ中継がなく、達川は中継終了後に肩を落としてパチンコ店へ向かったそう。4位で指名された時はまさにパチンコを打っていた最中だった、と笑いながら振り返るのだった。
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