12月29日(金)夜11時50分からTBSで「朝まであらびき団スペシャル あら-1グランプリ2017」が放送される。
「あらびき団」は、 “あら削り”な一芸を持ったパフォーマーを紹介するバラエティーで、2007年10月から2011年9月までレギュラー放送されていた。MCを東野幸治(ライト東野)と藤井隆(レフト藤井)が務め、ファンの中では“伝説”と称される異色の番組だ。
番組の魅力に迫る短期連載企画の第2回目では、ナスビのかぶり物とサングラス姿が特徴の天竺鼠・川原克己に突撃。
あらびき団と私
――ご自身にとって、「あらびき団」という番組はどのような存在ですか?
第1回目から出ていると思うんですけど、一番初めに、と言ってもおかしくないくらい、全国(ネット)で出させてもらったのがあらびき団でしたからね。
そのとき若手のピンのライブみたいなのがあって、そこで適当にやろうと思って、適当にやったら、ネタ終わりにあらびき団のスタッフが来て、「ぜひ出てくれ」って。
「私らの番組今度やるんだけど、出てくれ」と言われたときに、「頭おかしいのかな」って…。それがあらびき団と僕の出合いでしたね。むちゃくちゃなネタやって、オファー来たの初めてでしたね。
あらびき団員としての心得
――あらびき団員としてネタを披露する上で、大事なことはありますか?
僕に関しては、今日もそうですけど、「一発本番でいきましょう」とか「打ち合わせなしで」とか「ネタも全部任せるから」という感じなので、心得というか…「スタッフちゃんと仕事してるのかな」って思ってます。本当に打ち合わせもしないし。
自分しかいないな、っていうのを改めて感じます。自分ですべてをやってます、あらびき団に関しては。
あらびき団と苦悩と喜び
――この10年の中で、苦悩だったり、「こういうことがあってうれしかった」みたいなことは?
大変だなってことはないですけどね。やるだけなんで。ただ最初の頃、地元が鹿児島なんですけど、鹿児島の両親や親戚、友達とかは僕が芸人やってることは知ってるんですけど、田舎だったのでテレビでやってなくてその姿を見せられてなかったんです。
そんな中でやっと全国に出るってなったときに、親戚が集まって、このあらびき団を見てくれたんですけど、おばあちゃんが泣いてたらしいですね。その…孫がおかしくなったって(笑)。
喜びじゃないですね、苦悩というか…孫がナスビかぶって、泣いて「眠たい」って言ってるネタ見てもおばあちゃんはたぶん何をやっているか分かんないだろうし。おばあちゃんが「早く帰っておいで」って言ってるよってすごい悲しんでいたのを覚えていますね。
――おばあちゃん的にはナスビやってほしくないんですかね。
そりゃ、そうでしょう! あらびき団に出てほしくないでしょう。そりゃ今はね、あれですけど、当時は「頑張ってるのか?」ってテレビで初めて見つけたらナスビで…おばあちゃんからしたら、かわいそうでしかないんじゃないですかね。ナスビかぶって、変なことして。
――でもその後、徐々に知名度上がって、あらびき団が認知されてきてどうでしたか。
あらびき団はすごいな、と思いますね。いまだに「ナスビの人だ」ってずっと言われます。1回、「キングオブコント」でおすしのネタをしたときがあったんですけど、その後も街で「おすしをしているナスビの人だ」っていう、よく分かんないことになっちゃってたんですよね。「この間、おすしやってたナスビの人ですよね?」みたいな。
今はありがたいことにナスビ無しで、特に大阪とかで「あ!」ってなるんですけど。当時でも、ナスビかぶってサングラス掛けてるのはこの番組だけじゃないですか。それなのに「あ、ナスビの人だ」って言われてたんで。「すごいな、あらびき団。みんな見てるんだ」って。
(顔で見えてるのは)ここ(自分の口元)だけだから、ここがもし道に落ちてたら、「あれ、天竺鼠の川原じゃないの?」ってなるってことですからね。「ナスビの人のここだ」って。あらびき団、すごい影響力あるなって思いました。
――芸能人のファンも多いですよね。
浅野忠信さんに言ってもらってるんですけど、それもあらびき団を見てですからね。この間、僕が適当に「浅野忠信です」みたいに言ったのを、浅野さんが喜んでくださってて。だから、浅野さんも頭おかしいんですよね(笑)。
あらびき団のスタッフの人も、東野さんや藤井さんも頭おかしいですけど。出てる人だけ頭おかしいと思われがちなんですけど、見てる人自体が頭おかしいと思うんですよね。
平和ですよね、あらびき団は。ストレスゼロですから、皆。やってる人も適当にやってるし。いい番組ですよね。