――映画拝見しまして、表情はもちろん立ち姿や歩く姿にも佐智雄のカリスマ性を感じました。
どの作品でもそうなんですが、役を作っていく上で、立ち姿や歩き姿というものはすごく意識しています。
それは、こういうふうな歩き方をしようというわけではなくて、佐智雄としての存在というものを形容した時に、自然とあの形になりました。
背筋を張ろうという物理的なことよりも、気持ち的な部分で作った延長線上なのかなと思っています。
どんな場面でも、佐智雄の思いを大事にしていました。
――佐智雄としての動きやしぐさに関して久保(茂昭)監督からリクエストされたことはありましたか?
芝居を含め、特に何も言われなかったです。
――自分が感じたまま表現していたということですか?
そういう芝居が多かったです。もちろん、シーンとしての意図などを説明されたり「ここで前を見て」といった動きのリクエストはありましたが、役柄としてこう演じてほしいといった細かい指導は特になかったですね。
――そんな中で、佐智雄というキャラクターをどんなふうに作っていきましたか?
言葉にするのは難しいんですけど…、いわゆる学校のアタマを張っている極悪非道なワルということではなく、何のために何を背負って彼はその立場にいるのか。佐智雄のバックグラウンドについて、いろいろ考えました。
家族構成や人間関係が色濃く映し出されている作品だと思ったので、人とのつながりや関わり方を意識しながら佐智雄という人間を作っていったような気がします。
――台本を読み込んで佐智雄という人間を膨らませていったわけですね。
原作者の高橋ヒロシさんと一緒に脚本を担当されている増本(庄一郎)さんが佐智雄の履歴書のようなものを作ってくださったんです。
昔からお世話になっている方なので、僕が色々と聞いていたら「作ってくるわ」って。それを参考にさせていただきつつ、後は自分の中で感覚的に落とし込んでいきました。
――佐智雄率いる鳳仙学園の一枚岩ぶりは圧巻でしたが、彼らが戦う大義とは?
仲間がやられてしまったことに対してのけじめという部分が強かったと思います。それをケンカというツールとして表現しているだけで 仲間がやられてしまった時の思いや義理、筋のようなものが何よりも大切なんだろうなと思います。
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