桃月なしこが「bis」(光文社)のレギュラーモデルを務めることが決定。
これまでにも何度か誌面に登場してきたが、ファッション雑誌のレギュラーモデルという、活動当初から掲げてきた大きな目標の一つを達成した。
愛知県でスカウトされ、ナース兼コスプレイヤーの二刀流としてデビューして以来、一つずつ肩書きを増やしてきた桃月。
そんな桃月がインタビューに応じ、これまでの活動を振り返った。
「bisの撮影(仮)」というスケジュールを見て、何度もマネジャーに確認しました
――デビューから2年、ファッション誌「bis」のレギュラーモデル、おめでとうございます。
もうデビューから2年もたつんですね、ありがとうございます!
2年前に名古屋駅のスタバで初めて事務所の人たちと面談した日のことを今も鮮明に覚えています(笑)。
たぶん、お互いになんとなく半信半疑で面談していたんですが、その出会いから少したって気がついたら「ヤングマガジン」さんでデビューさせていただいて、そこからさまざまなお仕事をさせていただくようになって、気が付いたら、最大の目標の一つだったファッション誌のレギュラーモデルが決まったって感じですね。
――ここまで決して平坦な道ではなかったとお聞きしましたが。
そうですね。思い返すといろいろあったなと思います。元々は地元の豊橋から通いでお仕事をしていたのですが、「ヤンマガ」のデビューで良い評判を頂き、その後も雑誌のお仕事やテレビやイベントなど、たくさんお仕事を頂けるようになり、22年間住んでいた地元の豊橋を離れ、上京することにしました。
まずは上京してからは自分の活動の幅を広げるためにウォーキングレッスンに演技稽古、中国語、英会話、ボイストレーニングなどさまざまなレッスンに通わせてもらいました。
でも、仕事につながらないことが多くて。オーディションに行っても落ちたことの方が多く「自分には芸能向いてないのかな」「もう愛知帰ろうかな」って何度も諦めようとしたし、毎晩泣いていた時期もありました。
でも、決意して親元を離れて上京して、家族や友人も応援してくれているのに、中途半端に芸能をやって自分で限界を決めて帰るだなんてできないという気持ちの方が強くて。
そして、そんな中でも幸いなことに誌面のお仕事では、みんなの応援もあってさまざまな雑誌の表紙を飾ることができて。
とは言え、雑誌の表紙を飾ることも簡単なことではなく、私自身も最初の大きな目標として掲げていましたが、それでも昔からのファンの方から「あーあ、なしこも脱いじゃったか〜」とか「なしこたそには脱いでほしくなかった」とか、やっぱり批判的な意見もあって。
元々自分の体形に自信がなく肌露出を控えていた私が、誌面のお仕事をきっかけに体形を変えようと決意し、毎週ジムに通って、大好きな小麦やお菓子を控えてコンプレックスだったお腹周りをくびれのあるお腹にすることができて。
そうやって、いろんなことで泣きながら歯を食いしばって少しずつ自信を持ち、今の雑誌やテレビなどで自分らしくお仕事ができるようになった気がします。
だから、私は誌面のお仕事に対しても常に誇りを持っています。