映画「楽園」は“和製ジョーカー”?「共通点は“疎外感”」
「楽園」と「ジョーカー」の比較
瀬々監督は、この2作品の共通点を“疎外感”だと指摘。
「『ジョーカー』は格差社会の中、ないがしろにされる弱者を描いており、その環境下で弱者が行動を起こすという映画。『楽園』も閉鎖的な社会の中で外国人差別、限界集落問題を扱い、そのような人がどう生きるかを描いている点で共通点がある」とコメント。
また、監督は「『ジョーカー』を見ている人たちはアーサー(ジョーカー)側の視点に立って感情移入してしまうと思いますけど、私たちが作った『楽園』は映画を観ている最中に、もしかして自分たちもジョーカー(ここでは弱者の意味)を虐めている側かもしれないと思わざるを得ないという点が『ジョーカー』と『楽園』の大きな違いです」と相違点にも触れた。
その相違点が生まれる理由を「我々が作った『楽園』はサスペンスなので物語の流れから犯人の予想をして見るんですけど、最終的に裏切られる。その瞬間に自分たちも犯人捜しをしている側、つまり根拠なく追い詰めている側にいたんだと思ってしまうんです」と明かした。
“今”この2作品が作られた理由
「楽園」では、ある地方都市で起こった少女失踪事件をきっかけに、綾野剛演じる豪士は社会的立場の弱さから犯人と疑われ、佐藤浩市演じる善次郎は養蜂で村おこしを計画するが、それを快く思わなかった村人たちから拒絶され孤立を深めていくことになる。
そして「ジョーカー」でもホアキン・フェニックス演じるアーサーは、不幸な境遇が原因で社会から拒絶され追い詰められることで“ジョーカー”になってしまう。
瀬々監督は「『ジョーカー』からも香港のデモなどを想起しましたが、世界が混沌としているこの時代に『楽園』という作品を作った意味があると感じます」と今「楽園」が公開されることの意義についてコメントを残した。