自分のジェンダーに悩む青年が“ハイヒールを履くまで”の物語『サタデーナイト・チャーチ-夢を歌う場所-』<山崎ナオコーラ映画連載>
それで、教会に行きたい、神社へ行きたい、墓参りしたい、といったことを思い始め、実際に出かけた。意外な姿に、自分でもびっくりした。
教会に出かけたところで、ただ座っているだけで、他人と関わったり、悩みを吐露したりはしないのだが、じんわりと癒される感じはあった。
冬になり、クリスマス礼拝があった。参列者の多くは普段から通っている人のようで、挨拶し合っている。私は後ろの方の席の、隅っこにひとりで腰掛けた。
しばらくして、私の隣に座った人がいた。そうっと横を見ると、白髪混じりの長い髪を編み、大柄な体を派手な色のワンピースや網タイツで飾っている。そのとき、「たぶん、男性なのではないか」と私は思ってしまった。
すると、
「あ、○○さん、お久しぶりです」
と、その人に向かって、普通に声をかける人が来た。パーマをかけた真っ白い髪と、クリスマスらしいシックなツイードのジャケットを着た、小柄なおばあさんだった。
「あ、はい……。お久しぶりです」
髪の長い大柄な方は、かなり恥ずかしがり屋みたいで、小声で挨拶をボソボソ返している。
「まあ、まあ、何年ぶりかしら? お元気そうで何よりよ」
盗み聞きは良くないが隣にいるので二人の会話が耳に入ってきてしまう。どうやら、7、8年ぶりに教会に来たらしい。
おばあさんはいわゆる「雑談」をして、しばらくするとまた何やら教会の事務作業らしいことに戻った。
派手な格好も、たまにしか来ないことも、すべて受け入れられるところなんだな、誰でも来ていい場所で、事情を詳しく聞かれることもないんだな、と私は心を揺さぶられた。
その後、私は再び妊娠して体が大儀になり、生まれてからも子連れで行くのは難しく感じられ、礼拝は止めてしまった。
そして今、4歳と0歳の子どもと共に暮らしている。
育児エッセイを執筆する機会も多いのだが、二人の性別は特に書いていない。本人たちが大人になったときに、どのような性自認を持つかわからないので、私が今書く必要はないかな、と思ったからだ。それに、そもそも性別というのはゆるやかなもので、二つの種類で表現しない方が良い。
『サタデーナイト・チャーチ-夢を歌う場所-』は、「大きな映画」ではない。
こじんまりとしている。ストーリーの運び方も、主役の演技や歌い方も、ちょっとたどたどしい。
でも、リアリティにあふれ、ヴィジュアルがひたすら美しい。
主人公のユリシーズ(ルカ・カイン)がやけに美形で、顔だけで映画をもたそうとしているんじゃないか、と最初は思ったのだが、だんだんと、このたどたどしさが良くなってくる。
ユリシーズはハイヒールに憧れているのだが、家族はジェンダー軌範を大事にしており、ユリシーズのファッションを認めない。
居場所をなくしたユリシーズが、サタデーナイト・チャーチに出会い、ハイヒールを履くまでの物語だ。
LGBTQ +の当事者が集う場所として、サタデーナイト・チャーチはニューヨークのとある教会で実際に開かれているらしい。監督がサタデーナイト・チャーチでボランティアを務めていたことがあり、その経験が活きているという。