“平成唯一の三冠王”松中信彦がハンドボールに携わったきっかけと見据える“東京五輪後”<インタビュー前編>
――ご長男がハンドボールを始めたのは、松中さんが現役の頃ですか?
現役のときですね。始めたのは辞める2年前で、辞めた年に長男が中学3年生でJOCの福岡県選抜に選ばれたんです。そこがきっかけなんですよ。そこから送り迎えをしなきゃいけなくなったんですけど、見れば見るほど楽しいし、全国大会(第25回JOCジュニアオリンピックカップ2016ハンドボール大会)も応援に行って、そこで2位になって。そこからは何とか息子を本気で支えたいなと思いました。
あとは、ハンドボールはまだマイナースポーツなので、なるべくメジャーにしたいですね。世間はハンドボールというと宮崎大輔君しか頭に浮かんでこないと思うので、もっと興味を持ってもらいたい。見れば見るほど面白いスポーツですし、もったいないなという思いが年々強くなってきて。
昨年は世界選手権(2019女子ハンドボール世界選手権大会)のアンバサダーもさせていただきましたし、(普及活動の)段階を踏んでる感じはしますけどね。
――アンバサダーにはどういった経緯で就かれたのでしょうか?
JOCの全国大会に行ったときに、全国の中学のハンドボール協会の方々とあいさつさせてもらって、協会の中でも「松中の息子がハンドボールやってるぞ」というのが少しずつ広がって。
長男が高校に入ってからは、僕も引退したので土日はなるべく仕事を入れずに息子の練習について行ってたんですけど、熊本はハンドボールが盛んで、そこに九州のチームが集まって合同練習や合宿をやるんです。
そのときに熊本県ハンドボール協会の理事長や会長にお会いして、名刺交換をさせていただいて。今年亡くなってしまわれたんですけども、そのときの会長(故島田俊郎さん)から「松中君、盛り上げてくれないか」というお話があったので、ぜひと。
ハンドボールは野球みたいにまだメジャーではないので、最初はPRをしようということで、北國銀行ハンドボール部“ハニービー”の選手2人と僕の3人で熊本の商店街を歩いたりとか、いろいろなイベントに出させていただきました。
それがきっかけですね。その後、アンバサダーをお願いしますということで、務めさせていただくことになりました。
――松中さんが思うハンドボールの魅力というのはどんなところにあるのでしょうか?
選手同士が“当たる”コンタクトスポーツというのと、点取りゲームであるところですね。あと、一方に点が入ったと思ったら今度は相手にすぐ入るスピード感とか。
シュートも多彩で、ジャンプシュートやステップシュート、横から打ったり、いろいろあるんです。野球も投げるスポーツですけど、ああいうところは見ていて面白いなと思いました。
野球もそうですけど、“点を取る”っていうことがファンの人たちはうれしい。そういう意味では、ハンドボールはシュートをバンバン打ち合うので、見ている方は飽きないですよね。そういうところに僕は魅力を感じています。
――そして、今年の7月末からは日本ハンドボールリーグのアンバサダーに就任されました。
日本ハンドボール協会の市原則之さんからお話をいただきました。去年の世界選手権中に市原さんとリーグの吉田實会長とお話をした際に、市原さんが吉田会長に「松中君にどんどんアンバサダーで協力してもらえばいいんじゃないですか?」というお話はされていて、そのときは本当かどうか分からなかったんですけど。
市原顧問から直接お電話をいただいて、「今度の理事会で提案したいんだけど」とおっしゃられたので、「よろこんでやらせてください」ということで、こういう形になりました。
<インタビュー後編>に続く。