常に挑戦できる難しい現場を選んできた
それを実現させたのが「常に挑戦できる、難しい現場ばかりをあえて選んできた」姿勢だ。「自分が面白いと思える、これをやったら面白いんじゃないかっていう、挑戦しがいのある作品を求めてきました。(略)同じような役が続いてしまうと、役者としても、自分自身に対しても飽きるし、限界を感じてしまう」(「家庭画報」2018年4月号)と。
逆に「素のままの阿部さんでいってください」などと言われてしまうと途端につまらなくなってしまい、稽古場に行きたくなくなってしまうほど。「演出家からは難題を与えてもらいたい、てんやわんやしたい」(同)と言うのだ。
若い頃は演技力が伴わず、仕事が激減
その姿勢は、若い頃に苦汁をなめたからこそ生まれたものだった。もともと阿部寛は「メンズノンノ」のモデルとして圧倒的な人気を誇り、23歳の頃には「一笑っていいとも!」(1982年~2014年、フジテレビ系)の「いい男さんいらっしゃい」というコーナーにも出演。「格好いい男はどんな風にしても格好いいだろう」というコンセプトのもと、様々な扮装(ふんそう)をするという企画だった。その際、タモリから「俳優やったら?」と勧められるも、当時はまだその気はなく、就職活動をしていたという。
だが、程なくそんな阿部に映画「はいからさんが通る」(1987年)のオファーが舞い込む。大ファンだった南野陽子の相手役ということで引き受け、俳優デビューした。けれど、演技なんかやったことがない。セリフを言うのが精一杯だった。その後、来る役といえば、高価なファッションに身を包み、フェラーリを颯爽(さっそう)と乗り回す二枚目といった同じようなものばかり。まだ演技力も伴っていなかったため、すぐに飽きられ、仕事は激減。遂には「あの人は今!?」(日本テレビ系) で取り上げられるほどだった。