「やっぱ小池って頭おかしいよね」
松本人志が称賛を込めて、そう評するのが小池栄子だ。松本や中居正広が全くスキを見せない天海祐希の様々な側面を引き出そうとするも苦戦する中、最後に小池は天海に「鼻くそのとり方」という突拍子もない質問で切り崩して見せたのだ。
グラビアからバラエティの戦場を選択
小池は10代の頃、いわゆる巨乳グラビアアイドルとして芸能界デビューを果たした。2000年代、“癒し系”全盛だった時代に、“威圧系”として異彩を放っていた。だが、デビューして3年目の頃、彼女は事務所に保育士になりたいと申し出た。そう言えば仕事をやめられると思ったからだ。逃げ出したかったのだ。
そんな彼女に父親は「今、芸能界の仕事をやめたら、何をやっても続かない。自信を持ってもう少し頑張ってみなさい」と声をかけた。その言葉に奮起した。当時、グラビアタレントの寿命は2年などと言われていたという。もともとは女優志望だった小池が選んだのはバラエティの戦場だった。この頃、グラビアから女優へという道で成功した人はほぼいなかったからだ(同じ頃、その道を酒井若菜が開拓していた)。
小池は下北沢育ち。子供のころは、祖父が創業したパチンコ屋が遊び場だった。パチンコ屋には様々な人がやってくる。「いろんな大人たちのいろんな表情を幼いころから見てきて、こういう人だから嫌いっていう差別的意識がなかった」(「トーキングフルーツ」2017年11月21日)と語っている。「こんな人がいるんだ」と驚くこともあったが、そういう人に対しても先入観を持たず、好きになった。