【テレビの開拓者たち / 萩本欽一】欽ちゃん、テレビを語る!
「どうしてダメなの?」って言い続けたらテレビが自由になった
――当時、「コント55号は同じネタを二度やらない」と宣言していたそうですね。
「毎回が二郎さんとの真剣勝負。だから、正しくは『二度やらない』じゃなくて『二度できない』だね。そもそも舞台や映画で稽古しないでアドリブばかりやったら怒られるでしょ? テレビに適した手法を探った結果だったの。僕と同世代のディレクターの中にもテレビで新しいことをしたいって考える人もいたから、どんどん試すことができた。そのうちの一つが『欽ドン』(『欽ちゃんのドンとやってみよう!』’75~’80年フジ系)。投稿されたはがきを基に、いろんな出演者と僕が掛け合いをする構成の番組で、20回以上稽古を繰り返すんだけど、本番では僕が全く違うことをするわけ(笑)。それは本番で“今”をやるためなの。そこで出演者も予定外の動きをしちゃったりするからね。まぁ、そもそも僕は台本を覚えないんだけど」
――長江健次さんが、「『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81~’83年フジ系)で、12時間も練習したセリフを欽ちゃんが本番で急に変えるから絶句した」と後年コメントされています。
「困ってる姿って笑えるよねぇ(笑)。作られた笑いじゃないからさ。思ってもみないことを言ったり、新鮮な動きが飛び出す。急なアドリブの連続でカメラマンも焦ってたね。撮れないほうが自然なんだから。その面白さこそがテレビ。最初はカメラマンにも困るって言われたよ。でも、僕は言い返したの、『野球の中継はボールがどこに飛ぶか分からないのに、撮れてるじゃない?』って。そうするとさ、だんだん予定外の急な動きも撮れるようになっていくんだよね。あと、CMも楽しく見てもらうために間に10秒くらいの短いコントを入れたり。
それと、当時のテレビって、出演者は笑い声を小さく出さなきゃいけなかったの。これも音声さんに聞いたら、『ほかの人がしゃべるせりふが聞こえなくなります』って言うのよ。それじゃあ、せっかくの楽しい会話が死んじゃうよねぇ。僕はテレビの前のみんなに『なんだか楽しそうだぞ』って感じてもらいたかったんだよね」
――今では当たり前になっているテレビの多くの手法が、萩本さんの番組で定着しているんですね。
「最初はスタッフから『ルールで決まってるからできません』って反対されたりしたんだけどね、『どうしてダメなの?』って言い続けると意識が変わる。『できない!』『ダメ!!』っていう規則を、一人一人がくぐり抜けて、結果的にテレビが新しく自由になっていった感じだよね。『欽どこ』(『欽ちゃんのどこまでやるの!』’76~’86年テレビ朝日系)でも、客席にマイクを置いて、“クスッ”ていう小さな笑い声も録音できるようにして。大爆笑だけじゃワザとらしいでしょ?」