デビューから25年と訊くとどういう実感が湧いてくるのだろうか。
大貫「短かったのかな? でもその間にいろんな人に出会って。最近デビュー当時のPUFFYのことを好きだったっていう人に話を聞くと、『若いのにすごい知ってんじゃん!』って思うことが多いんですよね。若い子がそこまで知っているということはそれだけ自分も年を重ねてきたんだなって思うと『25年も経つわ。自分怖っ!』て(笑)」
吉村「20周年から25周年まではビックリするぐらい早かった気がしますね。だからそのスピード感で30周年を迎えるのが恐ろしいです(笑)。まさかそこまでやってないだろうなって思いながらやってたんで」
大貫「30年同じ仕事してるの、怖っ!」
吉村「そう。世の中の定年にしてはまだ早いんだけどね」
ただ、PUFFYではない2人を想像できないところがあるが…。
吉村「だって1人じゃ何もできない」
大貫「かわいい~(笑)。でも楽しいからな、2人組。それがないときっと何もしてないというか。『PUFFYが一応本業でいいんですよね?』っていう感じで外でいろんなことやったりしてましたけど」
吉村「それにPUFFYじゃないとこんなに楽曲に恵まれないと思う。今急にソロになってもこんなすごい人たちは曲書いてくれないよ」
大貫「良かったよね、PUFFYで。楽しいよ。こんな経験できないし」
吉村「多分同世代で音楽やってたらPUFFYのこと羨ましいだろうし、嫌いになるだろうなって思う。いろんな人と仕事したりとか。好きなことやらせてもらっているイメージもあるから『ずるい』ってなるだろうなって思うくらい、PUFFYで良かったなって思う」
大貫「しかもそう思われたとしても、こっちは何も考えてないイメージがあってさらに腹立たしくなるかもしれない(笑)。でも、よくやってるよっていう感じもあるよね」
吉村「いや、頑張ったよ。大変なこともあったでしょうにね」
そもそもPUFFY結成のきっかけは、ソロでデビューする準備を進めていた大貫が同じ事務所にいた吉村に声をかけたことがきっかけだ。
大貫「出会ったときは、由美ちゃんは大阪から出てきてさぞ寂しいだろうと思ってしゃべりかけたんですけど、『…はい』としか返ってこなくて。でも事務所で会う度に話しかけては、『あ、そうすね…』って言われて(笑)。野良猫を手なずけるようにちょっとずつ餌をあげて、だんだん『あ、手から食べた!』みたいなことになるんです。由美ちゃんはすごくかわいかったので、諦めずに手なずける快感を覚えてました(笑)」
吉村「私は話し掛けられても何も考えてなかった。人と話すのが苦手だったから」
大貫「『優しいな』とか思った?(笑)」
吉村「それも思わなかった(笑)。来る人に対して拒みはしないし、嫌な気持ちはしないけど自分からはいけない。だから友達も、ガチャッって鍵空けて土足で入ってくる人と仲良いんですけど、(大貫は)まさしくそういうタイプだから打ち解けやすかったんです」
2人でいるときの自然体な雰囲気は25年ずっと変わらない。
吉村「20代からの友達と会うと自分の態度も昔と変わらなかったりするじゃないですか。あの頃のまま年齢を重ねていて変わりようがなかったり。でも、私たちの場合変わり方もわからないよね」
大貫「変わり損ねたよね。そのタイミングを逃したとしか言いようがない」
吉村「ずっと一緒にいるしね。何年か会わない時期があったりしたらね」
大貫「そこが『変わったな』っていうタイミングになったりね。この25年、1カ月会わなかったこともないんじゃない? 怖い(笑)。でも結局、由美ちゃんとしゃべってるのが一番面白いんですよね」
吉村「話のテンポ感が合わない人としゃべるのってこの世の中で3番目くらいに疲れることなんですけど、そのテンポ感とか言葉のチョイスが合うから楽しいんだと思う」
大貫「話の内容はくだらないけどね(笑)」
取材・文=小松香里
収録曲●エッサフォッサ/Pathfinder/CHOEGOIST/パフィピポ山/
すすめナンセンス/罪深いかもしれない/COCO HAWAII/冒険のダダダ/陽の当たる丘/ALWAYS
写真左から吉村由美=1975年1月30日生まれ、大阪府出身、大貫亜美=1973年9月18日生まれ、東京都出身。1996年奥田民生プロデュース「アジアの純真」でデビュー。以降アジアツアー、アメリカでのツアーも開催、PUFFYを主人公にしたアニメ番組が世界110カ国以上で放送されるなど世界を舞台に活躍。ドラマ、アニメ、CMのタイアップ曲も多数
公式HP
https://www.puffy.jp/