“アポなし取材”“ヒッチハイク”などで日本のバラエティー界に新風を巻き込んだ「電波少年」シリーズ('92~'03年日本テレビ系)でおなじみの“T部長”こと土屋敏男氏。日本のテレビ文化を築き上げてきたクリエーターの一人である土屋氏に、伝説の番組「進め!電波少年」が誕生した経緯とこれからのテレビについて直撃した。
「24時間テレビ」でテレビのスゴさに気づきました
――もともと、どうしてテレビ業界を目指したのですか?
「大学生のころ、文化祭実行委員をやっていたんですが、そこで学生が楽しめるステージをと企画した『クラブ対抗歌合戦』が大人気で。いつも文化祭には顔を出さない同級生たちが参加して『面白い』と口々に言ってくれて、人を楽しませる仕事って面白い! と気づきましたね。もう今から36年前ですが…。
日本テレビを目指した理由としては、『24時間テレビ(愛は地球を救う)』('78年~日本テレビ系)でテレビのスゴさ、スケールの大きさに気づいたことが大きいかも。テレビって“すげぇことができる”場所というか。あと、『アメリカ横断ウルトラクイズ』('77~'98年日本テレビ系)も大好きだったんです。あれって、勝者ではなく敗者にスポットを当てた画期的なクイズで。そのドキュメンタリー性にやられて、テレビを見て楽しい気持ちになれる番組を作りたいな、と思いましたね」
――とはいえ、入社後すぐに番組を作るということはなかったんですよね。
「最初は編成部に配属されました。そのときはどうしても制作部に行きたいので、1年で50本くらいの企画書を3年間ずっと書いてました。それが実って制作に。とはいえ、ワイドショーの制作だったので、これまたやりたいことと違って…。
熱愛が発覚すれば、その人の家まで出掛けて玄関のチャイムを鳴らし、帰ってくるまで張り込む。そんなことばかりしていた毎日で。怒られることばかりでしたね。ただ、ここで経験したことが後々、『電波少年』につながっていくので、本当に分からないものですよ。人生ってムダなことなんてないんだって、10年後に気づきました(笑)」