学校の先生になるか、俳優になるかすごく悩みました
──学生時代に抱いていた将来の夢は?
学校の先生。今もですが、なんか学校が好きなんですよね。あのエネルギッシュな感じというか、友達との出会いと別れ、部活での青春とか。そういう甘酸っぱい感じが好きだった。なので社会人になっても学校に携わる仕事をしたいと思い、先生を目指して大学で教職課程を取っていました。
──それがどうして芸能界に進んだのでしょうか?
僕の場合、芸能界に入るきっかけがちょっと変わっていて、今の事務所の社長が根津(東京・文京区)でブティックもやっていたんです。そこに母親がたまたま行って、それから何度か通うようになり、社長と顔なじみになったそうなんです。で、社長が芸能事務所もやっているということを知って、「だったらウチの息子はどうですか?」と売り込んだんです。そのときたまたま僕の高校の卒業式の写真を持っていて、それを見せたら「じゃあ1回会ってみよう」と。そのときは大学1年で、学校の先生になるのが夢だったんですが、「大学生のときだけ趣味程度でやってみようかな」と軽い気持ちで芸能活動を始めました。
──最終的に先生ではなく、芸能界を選んだわけですが、ターニングポイントとなった出来事はあったのですか?
そんな感じで始めたんですが、徐々に役者としてお仕事をいただけるようになっていきました。エキストラからスタートして、ちょっとセリフをもらえるようになり、そして「恋して悪魔~ヴァンパイア☆ボーイ~」(09年)というドラマのオーディションに受かったんです。
でもその撮影の時期が教育実習とちょうどかぶってしまったんです。教職課程ってすごく出欠が厳しくて、両立はできなくてどちらかを選ばないといけない。すごく悩んだ末、結局ドラマの方を選びました。そのときですね、これからは芸能界一本でやっていこうと決めたのは。
その後、大学を卒業してバイトをしながら芸能活動を続けていましたが、しばらくは苦しかったですね。当時全然お金がなくて。このままだとヤバいと思い、「25歳までに芽が出なかったら辞めよう」と決めていました。でもちょうど25歳になるころにミュージカル「テニスの王子様」に出させてもらって、そこからみなさんに知っていただく機会が増え、大きな転機になりました。何より、当時のバイト生活から抜け出せたのが一番大きかったですね。
尚、染谷俊之は1/19(水)14時/18時に開催される朗読劇「いつもポケットにショパン」~2nd Lesson~に出演予定。
取材・文=河合哲治郎