“新しいことに挑戦したい”フリー転身1年目から幅広いジャンルで活動
――‘13年にテレビ東京に入社し、’20年3月まで7年間、アナウンサーとして、スポーツ番組やバラエティー番組など、多岐にわたるジャンルで活躍されていました。振り返ってみて、その経験は鷲見さんにとってどんなものになっていますか?
スポーツ中継に臨むための取材はすごく頑張りました。放送で使われるかどうかも分からない状態で、早朝、仕事前に空港に行って選手を待ち構えて取材する…というような“足で稼ぐ”ことは多かったです。あと、中継ものの大会では、もし放送中にトラブルがあったとき、その場をつなぐために取材をしておくとか、実況の先輩たちに提供するために選手のインタビューを文字起こししたり、選手にインタビューして資料を作ったり…とにかく体育会系でした。もちろん雑用もたくさんやったので、社会人経験として、すごく良かったなって。華やかな場所だけだったら、勘違いしていたかもしれないなって思います。
――そういった下準備の経験はフリーになってから活きていますか?
局アナ時代はちゃんと準備や調べる時間を与えてもらっていたというか。逆に今は、前日に台本をいただいて「あ、これを私がやるんだ」みたいなこともあるんです。とっさに振られてフリートークしなければいけないこともありますし。そういう意味では、脳の使う部分が全然違う感覚です。活かされていることというと、局アナとして番組制作の一員として携わっていたので、制作スタッフの方が、どんな準備をして、どんな視点で演者さんを見ていて、どういう思いで構成しているのか。そういった裏方の立場がある程度理解できている、というのは、すごく良かったなと思います。
――鷲見さんがフリーとして活動を開始した‘20年4月頃は、コロナ禍で緊急事態宣言が出ていましたね。どんな心境でしたか?
4、5月は、決まっていた仕事もなくなって、仕事がない状態だったので、「どうなるのかな…」という不安な気持ちはありました。でも、世界的にそうだったこともあって、“人生の夏休み”と前向きにとらえて、局アナ時代、すごく忙しくしていたので、とりあえず心身ともに、ゆっくり休めるための時間にあてよう、と。仕事が始まったときにエピソードとして話せるようなことがあったらいいかな、といろいろ興味を持って手を付けてみましたが、結局何も続きませんでした(笑)。
――その後、コロナ禍ではありながら、徐々にテレビ業界なども動き出しました。フリー1年目の‘20年はどんな1年でしたか?
そもそも明確な理想像が描けていたわけではなく、ただただ“もっと新しいことに挑戦したい!”と思って会社を飛び出したので、そういう意味では、思っていた以上に、いろんな経験をさせていただいたなと思います。一日一日、いただいた仕事を頑張っていたら、すごく充実した1年を過ごせた感じがします。
――充実の1年目を経て、‘21年は、ドラマ出演や写真集発売など、また新たに活動が広がり、飛躍の年になったのではないでしょうか。
お芝居は、高校・大学時代にやりたかったことが一周回って、こういう環境でやらせてもらえるってすごいことだなって思いました。とはいえ本業ではないので、周りに迷惑をかけないように、という思いが強かったんですけど、とても新鮮でした。撮影方法も、当然ながら想像できないようなものでしたし、役づくりや表現の仕方も、とにかく本当に難しかったです。ドラマは好きで普段よく見ていますし、もともと映画が大好きで映画館でアルバイトをしていたんですけど、演じる経験をさせていただいたことで、映像作品を見る目がまた変わりました。
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