大学2年生でお天気キャスターに。学業との両立に奮闘の日々
――まずは、阿部さんがアナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
元々、保育園ぐらいのときから漠然とキラキラした世界に憧れていて。中学生の頃、保育園のときに埋めたタイムカプセルを開けたら「モーニング娘。になりたい」と書いてあったので(笑)、アイドルになりたかったんでしょうね。ただ単に憧れで、具体的な将来の夢というわけではなく、その後の日々過ごしていって。それでも何となく、情報を伝えたり、司会をしたり、そんな仕事ができたらいいなという感覚はありました。
――高校時代には地元・大分でアイドルとしての活動もされていたんですよね。
中学3年生から高校2年生までやっていました。“アナウンサーに何かつながるかな”という気持ちで始めたというのもあるので、そのときにはしっかり考えていたと思います。大学に入ってカフェでアルバイトをしていたのですが、店長が大学の先輩で、「美学生図鑑」というWEBサイトの写真を撮っている方で。その撮影に声を掛けていただいたとき、「アナウンサーになれたらいいなと思っている」ということを話したら、今の事務所を紹介してくださったんです。それが1年生の6月くらいでした。
――入学してすぐだったんですね。事務所の面談などのことは覚えていますか?
あまり覚えてないんです…。一人で事務所にずかずか踏み込んでいったのは覚えているんですけど(笑)。今思えば、業界のことも分からないのによく行ったなぁ、肝が据わってるなぁって思いますけど、アイドル活動をしていたことで表に出ることや、知らない方に会うとか、その場での振る舞いとか…何となくイメージはできていたので、多少は慣れていたのかなと思います。
――当時、憧れのアナウンサーはいましたか?
高島彩さんにすごく憧れていました。私にとってはもう“伝説の方”なんですけど、高島さんのように、しっかりと空気を読んで、その場、その時にふさわしいことを言うことができるアナウンサーになりたいなと思っていました。
――2016年の4月から「めざましテレビ」のお天気キャスターに就任するわけですが、不安と期待、どちらの方が大きかったですか?
月曜から金曜の朝、生放送ということで、生活リズムは大きく変わるだろうし、学生をやりながら務めることにすごく不安はありました。いざやってみると、やっぱり大変でしたね。でもそれも、“今思えば“です。当時は本当に“がむしゃら”と言いますか。朝、仕事に行って8時に終わったら、そのまま大学に行って、9時から一限の授業を受けて…という生活に何も感じていなかったというか、それが普通。テストの時期は、泣くぐらい辛かったこともあったんですけど、やるしかない!という気持ちでした。
――そんな中、過ごした大学生活で思い出に残っていることは?
それが、ほとんどないんです。授業を終えたら、そのまま家に帰るか、仕事に行くかだったので、大学で授業を受ける以外のことをほぼやっていなくて。サークルにも入っていないし、友達と学食でご飯を食べることもほとんどなかったですし…。でも、その分、人ができないような経験をさせてもらっていたので、後悔はもちろんありません。でも、もしもう一度学生生活を送れるなら、サークルに入るとか、いろいろしてみたいですね。
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