りんご娘加入後、悩んだのは「責任っていう部分だったと思います」
――りんご娘についても聞かせてください。りんご娘はNegiccoと並んで「ローカルアイドルのトップ」といった印象ですが、ジョナゴールドさんから見たりんご娘はどんなグループでしたか?
加入前は、テレビに出たり、かわいい衣装を着て歌って踊ってということができるって、うらやましいなと思いながら見ていた記憶があります。事務所に入る前、(一緒に活動したメンバーは)ときさんしかいない時代にイベントで実際に見たことがあって、地元の方にすごく愛されているっていう印象でした。いつも周りに人が集まっていて、小さい子たちがすごくキラキラした笑顔で見ているのを見て、「こういうグループが青森にいるって楽しそうだな」「すてきだな」って。
それから2年くらいたった後、事務所の社長から「オーディション受けてみませんか?」って言われたのがきっかけで練習生になりました。そのときは、ときさんと王林さんのニ人のりんご娘で、スタイルが良くて、顔も小さくて、かわいい人じゃないとりんご娘にはなれないんだと思っていましたし、住む世界が違う感じはしていました。それくらい圧倒的な先輩だったので、自分がなりたいって大きな夢を語るわけでもなく「すごいなー!」って黙って見ていただけでしたね。
でも、ありがたいことにメンバーになるチャンスが回ってきて、そのときは何も考えてなかったんですけど、メンバーになった後にどれだけ青森に貢献してきたグループだったのかとか、りんご娘になるという責任などを感じて。自分が何を求められているのかも分からない状態でのりんご娘だったので、一番悩んだのは責任っていう部分だったと思います。
外から見ていたときただ楽しそうだったグループが、こんなにもまじめに地元と向き合って活動していたっていうのをメンバーになってから気付いて、そういう積み重ねが青森の方から愛される理由なんだろうなって。実際にメンバーになってみて、先輩やスタッフさんの立ち居振る舞いを見て勉強していました。今までつないできてくださった先輩方の地道な活動が形になったということなので、先輩方と青森の皆さんに感謝ですね。
――青森県の期待を背負っている感じですね。
りんご娘を皆さんが知ってくれているという環境を先輩方が作ってくれていたので、どこに行っても名前は知られていて、“りんご娘のジョナゴールド”を知らなくても「りんご娘です!」と言ったらみんな「あぁ、りんご娘さんなんだー」と言ってくれる環境でした。うれしいことではあったんですけど、同時にどこでもりんご娘のメンバーとしてしっかりしなきゃっていう気持ちが、結構重くのしかかった記憶はあります。でも、私の中ではごく最近、青森の皆さんがアイドルグループとして受け入れてくれたような気がしていて。
ずっと青森県内の小さなお祭りとか幼稚園、保育園、老人ホームとかでもライブをしていたので、ライブハウスやホールでライブをするというイメージが県内の方にあまりなかったんですよ。どこでも見られるって思われていたので、最初に県内のライブハウスでライブするときは人が集まらなくて大変でした(笑)。青森の方は私たちのことを娘のような感じで見てくれていたので、ライブで声を出して応援するというより「よく練習してきたなー」みたいなテンションで見てくださる方が多くて、ちゃんとアイドルグループとしての見せ方を作るまで結構時間が掛かったと思いますね。
意識していたのは「ステージに立った先に何があるか」
――これまでりんご娘がアイドル界で残したものは何だと思いますか?
残したものですか!? 大きなことを成し遂げたとは思っていないんですけど(笑)、自分のためにステージに立つんじゃなくて、私たちだったら「青森のために」っていう感じで、有名になりたいからステージに立つんじゃなくて、ステージに立った先に何があるかっていうのを意識して活動していました。「応援してくださる方のために」っていうのはもちろんなんですけど、それだけじゃなくて自分たちは何のためにステージに立っているのかを考えて。そういう部分では、他のグループに負けてなかったと胸を張って言えます。
――王林さんがグループ活動と同時に、全国放送のテレビなどでも活躍されていました。
王林さんが東京と青森を行き来するようになってからは4人での時間も取れなくなって、ライブの練習とかも前とは比べものにならないくらい大変になったんです。リーダーの王林さんがいないと進められない部分も多くて大変ではあったんですけど、東京と青森の行き来を頑張っていた本人が、絶対にメンバーの前で「疲れた」とか「つらい」って言わなかったのが、すごいなと思っていました。新幹線の始発で東京に行って、終電で帰ってきて、次の日も朝から青森で4人でロケして練習やリハみたいな毎日だったのに、弱音を吐かずにずっとりんご娘の仕事に来てくれていて。
今考えてみると本人はすごく無理していたんじゃないかなと思いますし、そのときに「大丈夫?」とか声を掛けてあげられなかったという後悔もあるし、そこにメンバーとして寄り添っていけたらもっと良かったなと思うんですけど、そのとき私たちは私たちなりに精いっぱいだったので、そんなこともできずに…。
でも、そうやって大変なことでも大変と言わず、青森のために慣れない場所に一人で向かっていくというのは本当に格好良い姿だったし、「こういう人が常識を変えていくんだろうな」って、同じメンバーにそういう人がいるのを誇りに思っていました。元々強がる人で具合が悪くても言わないし、「やるしかない!」って頑張っていた人だったので、今はメンバーがそばにいない状態ですけど、無理せずに頑張ってほしいなと思っています。
――王林さんの活躍で、新たにりんご娘を知った人も多かったですよね。
それをきっかけにMVを見てくださったり、ライブに来てくださったりっていうこともあったので、本当にうれしいことですね。