長年「若者のテレビ離れ」が言われ続ける一方で、最近ではTVerなど見逃し視聴が一般的になり、テレビ番組の話題がSNSでバズることもしばしば。テレビって、あらためてじっくり見たら色々おもしろい?なんと7年ぶりにテレビ番組を見るというライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は「さらばのこの本ダレが書いとんねん!」(毎週火曜深夜0:30-0:45、テレビ大阪)をチョイス。
4500枚のパネルに顔をハメてきた男に迫る
いつものようにTVerを漁っていると、これまで4500枚の顔ハメパネルに顔をハメてきたという男性を紹介する番組を発見。彼の人間性や、著書の紹介など、さらば青春の光の2人によるインタビューが行われるという番組で、尺も10分ほどだったが、端的に興味があったため覗いてみることに。テレビお久しぶりです。
顔ハメ看板の良さというのは、私にも理解できるつもりだ。出先なんかで見かけたらすぐさま顔をハメ、あたかも「やらされました。恥ずかしいよね、いい歳して」というような表情で撮影してもらい、「ま、クールな俺でもたまにはこんなはしゃぎ方をしちゃいますけどね」というような温度感でインスタグラムにアップする。案外、こういう人って多いんじゃないだろうか。いや、ほとんどの人は、顔ハメ看板に顔をハメたいのではないか?ちょうど顔くらいの穴があったら、顔をはめてみたくもなるだろう。これは、もはや、生物本能の話である。
その証拠に、この顔ハメ看板ニスト・塩谷朋之氏は、「2人用の顔ハメパネルを見つけたとき、知らない人に一緒に入ってもらえませんかと尋ねると、8割ほどの確率でOKしてもらえる」と語っている。これは紛れもなく、「しなきゃいけない状況になればできるのに…」と感じながら顔ハメ看板を泣く泣く素通りしている人数のことだろう。つまり、8割の人間は、顔ハメ看板に顔をハメ、写真を撮りたいのである。しかし、能動的にハマりに行くことができない。
この気恥ずかしさというのは何だろう。私も、駅前でモンスターなりレッドブルなりを配っているキャンペーンガールの姿を見かけると、うわっ、欲しい、と思うのだが、「まったく騒がしいですねえ」というような顔をして通り過ぎてしまう。これまで一度も、貰えた試しがない。目の前にドンと現れ、「もらわなきゃ殺すぞ」とでも言ってくれれば、私だって気持ちよく受け取ることができるだろうが、あのモンスターエナジーを受け取るためには、そっちのほうに行かなきゃいけないんである。その道中、思考をする時間が与えられ、気恥ずかしさが発生する。なので、駅前でモンスターエナジーを配っている方は、私を見かけたらモンスターをカバンに押し込むか、もしくは投げつけてもらって構わない。考えるから恥ずかしくなる。考える時間を与えないでほしい。
さて、そんな気恥ずかしさなど遠く昔に卒業したのであろうこの塩谷氏は、顔ハメ看板の魅力について「人のために作られている」という点を強調する。彼は序盤、顔ハメ看板の魅力に気が付いたきっかけとして、「捨てられていた顔ハメ看板に顔をはめて写真を撮っていたら、店の人が喜んでくれた」というエピソードを語っているし、彼が「手描きの看板が好み」と語るのも、「人のために作られている」という事実に感動しているからこそだろう。利益などはいったん度外視で、ただ、この看板を作った人がいるという事実。彼は常に、顔ハメ看板の向こうに制作者の存在を感じていて、だから看板の全体像を写すことにこだわるし、主役でない自分は真顔で佇むということを徹底しているのだろう。
人間の創作物に”顔をハメる”という行為。この感覚は当然、顔ハメ看板以外では、絶対に味わえない。実に魅力的な趣味である。小説は読むもの、音楽は聞くもの、映画は見るもの、料理は食べるもの、顔ハメ看板は顔をハメるもの。この単純で直接的な運動の中に、あらゆるエモーションが詰まっている。便宜的な肯定表現ではなく、素直にまっとうに、「奥深いなあ」と感じたのであった。
文/城戸
イラスト/犬のかがやき