毎クール様々な作品が放送されている深夜アニメ番組。夏クール(7月–9月)も多種多様なタイトルが届けられたが、特に注目を集めていた作品の1つに、「メイドインアビス 烈日の黄金郷」(毎週水曜日深夜1:05~、TOKYO MXほか)がある。本作を「価値」というワードで考察する。
「メイドインアビス」における「価値」とは
同作はつくしあきひと原作のダークファンタジーコミックのアニメ化で、2020年の劇場版を経てのテレビシリーズ第2期となる。物語の舞台は絶海の孤島に存在する奈落の大穴アビス。探窟家と呼ばれる者たちは、ここに眠る貴重な遺物や奈落の底にある未知を求め、冒険に挑み続けている。主人公である探窟家見習いの少女リコも、奈落の底で待つという母に会うために、謎の少年型ロボットのレグ、“成れ果て”のナナチと共に奈落の底を目指していく。
幻想的な優しいビジュアルから、一見するとほのぼの冒険劇に見える作品だが、その実、リコたちは心身を打ちのめす過酷な状況に突き落とされ、アビスの呪いに起因する残酷な光景を目の当たりにする。手心を加えないエグイ描写も目立ち、時にはそんなシーンが話題に上ることもあるが、目を逸らさずに見れば本作の本質はそこにはなく、人の心を動かす物語に別の意味で打ちのめされることだろう。
第2期は、アビス深界六層にある成れ果て村を舞台に物語が展開されてきた。余白の多い本作には答えを視聴者に委ねるような部分が多くあり、成れ果て村にも思慮を馳せたい事柄がいくつも生まれている。今回はここで暮らしていた異形の成れ果て、村における特異な価値の形成について考えてみたい。
成れ果て村は欲望の極彩色。住人が欲の姿になったワケ
原作を知る筆者はこの成れ果て村がアニメ化される際、もっと陰鬱な雰囲気、もしくは気味の悪い雰囲気で描かれるものとばかり思っていた。なぜなら「成れ果て」と呼ばれるこの村の住人たちは、人の姿をしていない得体の知れない生き物であったからだ。しかし、成れ果てたちは意外なほどカラフルでポップな彩色になり、おどろおどろしさは相当払拭されたビジュアルとなっていた。村全体の雰囲気も明るく、予想を裏切る光景だったが、考えてみれば村の成れ果てたちは、欲望が今の姿形に反映された者たちだ。欲望の極彩色。そう考えればこのビジュアル化も腑に落ちるところである。
“欲望が姿形に反映された者たち”と記した通り、彼ら住人は村に自身を捧げ、代わりに村で生きるための欲に応じた姿が与えられた者たちだ。例えば、入れ物でない体が欲しかったというマジカジャは“匂い”という、物や人に憑依する体を与えられ、小さなものに体を這わせることが好きなエンベリーツは、座布団のような姿を与えられている。
なぜ欲に応じた姿になるかだが、これは村の礎にされた先住民の少女イルミューイに関係していると思われる。不妊の体のために捨てられたイルミューイには子どもが欲しいという願望があり、その願望は願いを叶える卵“欲望の揺籃”の力でイビツだが叶えられている。願いとはある意味、欲と同義語である。そんなイルミューイの欲が礎にあるが故に、憧れを捨て村人になることを選んだ人間には、その者が欲していた欲を表面化させた姿が与えられるのではないだろうか。村の深くに封じられていたヴエコは信号で外の様子を知り、後々になるが、ファプタには魂の声を聴いている様子がある。村の意思となったイルミューイも直接、人の魂から欲の信号を見つけていたのかもしれない。
なお、欲が明らかにされている住人はごく一部であり、アニメ化で一躍人気者となったマアアさんはどんな欲、願いを抱いてあのような姿になったのかがとても気になるところだ。
また、村の外で成れ果てになったナナチは村の住人とは別の存在だが、そこにも一種の願いが掛けられていると言える。ナナチは親友ミーティが自分の分も呪いを受けてくれたことで、アビスに適応した体と能力を“祝福”という形で与えられている。マジカジャはナナチを指して「強い強い欲で守られたんだろうね」と言っていたが、これこそナナチに冒険を託したミーティの願いだったのではないだろうか。