声優、YouTuber、モデル、コスプレイヤー、そして2022年7月からは自身名義での音楽活動も。「マルチタレント」を掲げ、さまざまなジャンルで活躍する夜道雪(よみちゆき)のコラム連載、「夜道 雪のBlowin' the Night wind!(夜風に吹かれて!)」がスタート! 地元・北海道から上京し、現在の「表現者・夜道雪」が生まれるまでの道のりを、「夜道節」で綴っていきます。
苦悩ばかりだった中学生の頃
今これを読んでくださる皆様の中には、苦悩の中学生時代を乗り越えてきた経験がある方も多いのではないだろうか?
私は中学生の頃、やり場のない感情と苦悩ばかりの日々だった。
ドラマや映画に出てくる美しい青春の物語。私はあんなの糞食らえと思ってしまう、ひねくれた人間。青春時代に美しい思い出がある人なんて実在するのだろうか(ホントにいたらすみません)? 私にとって青春時代とは、甘くも酸っぱくもない。にがくて泥臭い、そういうものだった。
カッコ悪いハンパな私の中学時代の経験と、当時唯一の心のよりどころについての話。
中学1年生の私は、至って普通の女の子だった。いや、むしろ普通より少し真面目な方。ずば抜けて優秀だった訳ではないが、成績は問題なく、正義感の強さから学年協議長を務めていた。幼少期から絵を描く事が好きだった私は、美術の成績は必ず5。運動も好きなのでソフトテニス部に入部し、夜遅くまで練習に明け暮れていた。行事が好きで、体育祭でリレーの選手に選ばれた時が中学生活で1番嬉しかった記憶だ。合唱コンクールでも指揮者を務めるなど、意外にも率先して行動するのが好きな明るい性格で友人も多かった。それなりに楽しく学校生活を送っていたと思う。
空気が変わったのは2年生の頃。前述の通り、明るく物怖じしない性格で友人も多かったからなのか、不良とまでは言わないまでも、「少々グレた」女子とも仲良くなっていった。
放課後に髪の毛をアレンジしてもらったり、お化粧をしてくれたり。
私にとっては他の友人と何も変わらない、ただただ普通の付き合いだった。
でも、まわりの目はそうはいかなかった。
それまで仲良くしていた友人は私の事を恐れて避けていくようになり、私がグレたと勘違いした担任が、私の事をとにかく心配するようになった。別に何か悪いことをしたわけでもないのに。
その程度のことで学校は親を呼び出し、教師を交えた三者面談が始まってしまう。不必要に親に心配を与えさせる学校を、当時はどうかと思っていた。
その上、根が小心者な私は、新しい友人達と共にグレる路線を突っ走れる訳も無く、元の友達からは避けられて疎遠なままヨリを戻す事もできず、どっちのグループにも属することができない、宙ぶらりんのハンパな状態になってしまった。
学校へ行けなくなってしまった日々
それとほぼ同時期に、学校の身体検査で私の体に病気がある事が判明した。
背骨が湾曲する原因不明の病気だ。
中学卒業の後にその病の手術を行う事になるのだが、これが結構な大手術でもあるため、中学では医療用の硬性コルセットで様子見をする事になった。
この硬性コルセットというものが、学生時代の私にとっては非常に苦しいものだった。
硬く分厚いコルセットを胴体に装着して過ごすのだが、全く柔軟性がないため身動きを取るのが非常に困難で、しゃがんだり伸びをしたりすることすら厳しい。
通気性が全くないので蒸れて肌は痛痒いし、肋骨や骨盤にコルセットが当たって、座ってるだけでもかなり辛い。胃が圧迫されて給食が殆ど入らず、食べ盛りの時期にはとてもつらかった。寝返りを打つのも大変で、寝苦しく寝ても寝た感じがしなかった。
クラスで孤立しはじめたからなのか、私はとある同級生の男子からイジメのターゲットにもなる。最初はちょっとした嫌がらせから始まったが、少しずつエスカレートしてしまい「学校にきたらいじめてやる」「泣かしてやる」「殴ってやる」なんてメールで脅しをかけられた。
正直、一度でも殴ってくれれば問題にできたのに、机を蹴られたり暴言を吐かれたり怒鳴られたりして脅されるだけだったので、私の方もどうにも手を打てずにいた。
その男子が私の部活の先輩達と仲が良かったので、部活内でもちょっとしたいびりみたいなものも始まり、部活に行く事も億劫になっていった。
物を隠されたり勝手にカバンの中を見られたり、わざとボールを当てられたり、しまいにはやってない事をやったと言われたり、毎日嫌がらせをされるように。
その結果、次第に私は学校へ行けなくなってしまった。
朝、どうしても起き上がれなくなる(いま思えば鬱だったのかもしれない)。
なんとか頑張って朝起きた日も、制服を着て鞄を持って家を出て、学校ではなく近所の公園で過ごす。親が仕事にいった時間を見計らい、また家に帰って過ごす。
時には、いじめてくる生徒が教室に入っていった事を先生が確認した後に保健室に登校する、空虚な日々。
私の成績はどんどん悪くなり、欠席の数も増え、3年生になる頃には殆ど学校に出席していなかった。
そんな私を見て両親はかなり焦っていた。心配をかけさせたくなくて両親に心のうちを話していなかったが、今思うとちゃんと両親を頼るべきだったと幾分後悔している。
両親に対して「こんな子供で申し訳ない」という自己嫌悪もある中で、まだ若い私には強がるという方法でしか自分を守る事ができなかった。
思春期の夜道雪を支えてくれた、大切な1曲
学校に行けない期間は、ひたすら音楽を聴いていた。母親が私の憂さ晴らしによく付き合ってくれたもので、近所のCDショップに連れていってもらい、薄ピンク色の新品のCDラジカセと、1枚100円程度の中古のCDを何枚も買ってもらった。
名前も知らないようなアーティストのCDも聴いた。邦楽、洋楽、ロック、メタル、アイドル、メロコア、レゲエ、ヒップホップ、演歌、歌謡曲、とにかくなんでも。苦しい頭の中を音楽で塗り潰すのが、私の心のよりどころだった。
8センチCD(シングルCD)をご存知だろうか?
CD世代の方にとっては当然だろうと笑うかもしれないが、平成生まれの私にとっては初めて見るおもしろおかしい逸品だった。CDだけどCDよりちっちゃくてかわいらしい。
ケースもCDらしくない縦長の形。だが母親によれば私の持ってる薄ピンクのCDラジカセでも聴けるらしい。ある日買ったその1枚のシングルCDを早速帰って聴いてみた。
「BLUE HEARTS/ブルーハーツ/キスしてほしい」
それからの私はブルーハーツがとにかく好きで好きで、繰り返し聴いた。
いま思えば、中学生らしい青臭いチョイスかもしれない。
そして、私はこの8センチCDのB面にとても勇気づけられた。
「チェインギャング」という曲に。
いまの惨めな自分を、ありのまま変えようとするわけでなく、諭すわけでなく、「それで大丈夫だ」と肯定してくれている。そんな気持ちにさせる曲だった。
作詞作曲のマーシーこと真島昌利さんは、チェインギャングをどう思って、どう伝えたくて作ったのかはわからないが、私はただそう感じた。
チェインギャングは22歳になった今も尚、私の事を励まし続けてくれている。
細かい説明はあえてしない、とにかく悩める方々は是非聴いてほしい、
曲の力を必ず感じるはずだ。
過去は変えられないが、今これからを積極的に生きることはできる。
今の自分はもしかしたら、100%この歌で作られているのかもしれない。
チェインギャングは「ハンパに成長してきたカッコ悪い私」の、永遠の応援歌である。
夜道 雪のBlowin' the Night wind!(夜風に吹かれて!)は、隔週土曜日更新。
次回は、1月21日(土)に掲載予定です。
スタイリング:菅晴子
ヘア&メイク:福島加奈子(ごほうび)
公式サイト:https://www.universal-music.co.jp/yomichiyuki/
Twitter:https://twitter.com/yomichiyuki
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC6wBud5fixEl22Df424YBFg/videos
プロフィール
1999年11月21日生まれ(22歳)
北海道出身
声優、YouTuber、モデル、コスプレイヤーとして活動。声優としての代表作に、TVアニメ『スーパーカブ』『女神寮の寮母くん。』など。バイクの愛好家であり、バイク専門媒体で連載も執筆している。