声優、YouTuber、モデル、コスプレイヤー、そして2022年7月からは自身名義での音楽活動も。「マルチタレント」を掲げ、さまざまなジャンルで活躍する夜道雪(よみちゆき)のコラム連載、「夜道 雪のBlowin' the Night wind!(夜風に吹かれて!)」がスタート! 地元・北海道から上京し、現在の「表現者・夜道雪」が生まれるまでの道のりを、「夜道節」で綴っていきます。
地下アイドル時代、記憶に残るある大切な出会いと交流
皆さんは死とどう向き合っているだろうか。
私自身、身近な人間の死について考える事が多くなってきた。
というのもここ数年間、まわりに不幸が多かったのだ。
お世話になっていたバイク屋のお兄さん。レース中の事故によりこの世を去ってしまった。優しく快活な人で、まだ20代前半だった。
小、中学校をともに過ごした同級生。走行中に具合が悪くなってしまったのだろうか、街路樹に追突してこの世を去ってしまった。大型バイクを買うのが楽しみだと話してくれた事をよく覚えている。
地元、北海道にある老舗の蕎麦屋さん。私の実家では毎年この蕎麦屋の年越し蕎麦を注文していた。22年間食べ慣れた味。火事で全焼し、消火しようとしたオーナーが亡くなってしまい、長い歴史を持つこの蕎麦屋も閉店になってしまった。
私の祖母。認知症になってしまい、私が小学生の頃には顔も名前もすっかり忘れられてしまったのだが、祖母はキティちゃんが大好きで、自分でコレクションしていたキティちゃんのぬいぐるみをくれた事をよく覚えている。祖母は富良野に住んでいたので、東京に住むわたしは死に目にも告別式も会いに行ってあげられなかった。
この数年間、様々な死と直面した。
みなさんは身近な人間が死ぬと悟った時、最期にどう行動するだろうか。どんな言葉をかけるだろうか。
私はいまだに、正解が分からずにいる。
今回は私にとって、死について考えるきっかけとなった人物について語りたいと思う。
私のファンに、「Kさん」という方がいた。
私が活動を始めた当初からのファン。つまり私が15歳くらいの時から。
北海道の釧路という街に住んでいた。
釧路は静かでのんびりとした綺麗な街だ。Kさんもまさにそんな人柄で、釧路がよく似合っていたと思う。
16歳ぐらいだろうか、私は高校に通いながら北海道で売れない地下アイドルをしていた。多い時で週に2回ほど、月でいうと4回くらいはライブを行っていた。
集客は1人、良くて2人。本当にそれくらいしかいなかった。そもそもが小さなライブハウスの客席であっても、この人数では閑古鳥が鳴く。それでも集客がゼロになる事は一度もなかった。必ず1人、固定でライブに足を運んでくれているお客さんがいた。
それがKさんだった。
Kさんは私のイベントに欠かさず参加してくれた。休日は勿論、時には仕事帰りにも釧路から札幌まで片道4〜5時間の道を運転して、会いに来てくれた。北海道の冬路の運転はさぞかし大変だっただろう。晴れの日も雨の日も雪の日も疲れた顔を一切見せなかった。
それどころか、ライブ中、自慢のカメラで私の写真を沢山撮っていた。
レンズ越しに私を見て微笑むKさん。
それを見た私も、欠かさずレンズ越しのKさんと目を合わせてファンサービスをした。
あの時の私は、上手に笑顔を作れていただろうか。可愛く映れていただろうか。とても不安だ。何故かというと私は当時、ステージの上で歌って踊りながら、内心は酷く惨めな気持ちでいた。ライブ中は涙がこぼれないように、声が震えないように必死に耐えていたのを覚えている。
私の出番の前、対バン相手のアイドル達は人気で沢山のファンが歓声を上げていた。
そんな彼らは、私の出番になると一気に興味をなくしてトイレに行く。そういう客席を眺めてつらくなったとしても、ライブは笑顔でやり切らねばならない。
無論、売り上げなんて一銭もなかった。日々のライブハウスや稽古場への移動費は、放課後のアルバイトで作った。
新衣装も新曲も作れるはずがない。
いつもと変わり映えのない私のステージを、Kさんはどんな気持ちで見てきたんだろう。
惨めで上手く笑えない私を、ニコニコしながら自慢のカメラで撮り続けてくれていた。
Kさんは、本当に控えめな人だった。ガラガラの客席の中でも定位置は、はじの後ろの方。
ライブが終わった後の交流タイムも、濃い交流は望んでいないようだった。
私のステージに文句も意見も言わない。「良かったよ! 今日もありがとうね。」と言ってニコニコしながら去る。そういう人であった。
この人に立派になった姿を見せたい。まだ未熟者の私の写真だ。でもいつかきっと自慢できる日が来ると思う、だから待っていてほしい。そうやって自分を奮い立たせるも、これはきっと情けで応援してもらっているんだろう、こんなことを続けていたって仕方ない、人気にはなれない。と、また卑屈に考えて落ち込む自分もいた。思春期の自分には、Kさんの真っ直ぐすぎる応援をありがたく受け止めるのが、また難しかった。
自分に自信が全く持てないし、人気もない。どこを好んで応援してくれているのか、申し訳ないが当時はサッパリ理解できなかったからだ。
そして理解できないまま、私はアイドルを卒業した。最後のライブだからいつもよりも沢山お客さんが来てくれた。普段は殆どなかった歓声を受けて、私にとってアイドル生活で1番楽しいライブだった。
Kさんは、最後のライブもレンズ越しに私を見ていた。顔は見えなかった。
でも私には伝わった。あの時、自分の事のように喜んでくれていたと思う。楽しんでくれていたと思う。
これは私がそう思いたいからではない。
アイドル生活で毎週のようにKさんに会って、惨めなライブもKさんの応援に支えられてこなしてきたものだから、私にとってKさんはメンバーみたいな感覚。
控えめな人だから、声を出したり手を振ったりはしない。それでも私には、私だけには、凄く伝わった。喜んでいたし、楽しんでいた。
交流タイムでは「沢山きてよかったね、これからも応援するね、今日もありがとう」
と言って、いつも通り釧路まで車で帰って行った。
私のアイドル活動は全く華やかではなかった。
とにかく惨めな気持ちでいっぱいで、高校生ながらに時に努力が実を結ばない事を実感した。
それでも、Kさんからの無償の愛を受けたことは私の誇りだ。
私がいつか人気者になったら、「夜道にはこんな時代があったんだよ〜売れない頃から見てきたからナ」と偉そうに語って頂くつもりであった。
公式サイト:https://www.universal-music.co.jp/yomichiyuki/
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プロフィール
1999年11月21日生まれ(22歳)
北海道出身
声優、YouTuber、モデル、コスプレイヤーとして活動。声優としての代表作に、TVアニメ『スーパーカブ』『女神寮の寮母くん。』など。バイクの愛好家であり、バイク専門媒体で連載も執筆している。