大学在学中に放送作家として活動し、フジテレビ入社後は、「ダウンタウンのごっつええ感じ」('91~'97年)でダウンタウンらと、「笑う犬の生活」をはじめとする「笑う犬」シリーズ('98~'03年)ではウッチャンナンチャンらと、今なお高く評価されるコント番組を作ってきた小松純也氏。他にも多数のバラエティー番組の演出、プロデュースを担当し、現在は共同テレビジョンのプロデューサーとして、Amazonプライム・ビデオのオリジナル作品「HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル」の総合演出や、TBS系のグルメバラエティー「人生最高レストラン」のプロデュースを手掛けている彼に、コント番組を作っていた当時に学んだことや、テレビ番組を作る上で大事にしていることなどを語ってもらった。
自分で志を持って物事を決めたことがないんです(笑)
──小松さんは、大学在学中から放送作家や役者として活動もされていたわけですが、テレビを作る仕事に就こうと思われたきっかけは?
「自分で演じたりしていたとき、演出家が、自分じゃやらないのにいろいろ言うんですよ。それが妬ましくて、自分も偉そうに言う側に回ろうと思って(笑)、演出の仕事がしたいなと。ただ別に、テレビ局に入ろうと計画的に準備していたわけじゃないんです。たまたま友人がフジサンケイのマスコミセミナーの応募ハガキを拾って、それに応募して通った、という。今まで全てそうですけど、僕という人間は、自分で志を持って物事を決めたことがないんですよね。常に流されるがまま。自分の意思で決断したことは、結婚くらいしかないです(笑)。おそらく、自分に確固たる自信がないんでしょうね」
──では、フジテレビに入社して初めて手掛けられた番組は?
「最初にADとして関わったのは、『笑っていいとも!』('82~'14年)と『夢で逢えたら』('88~'91年)ですね。当時、『夢で逢えたら』のメンバーだったダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさん、野沢直子さん、清水ミチコさんは、全員『いいとも』にもレギュラー出演されていて。やはり、『夢で逢えたら』のメンバーと出会えたことは大きかったです。
当時のバラエティー番組のADというのは、人の倍働かないと許してもらえない、みたいな環境にいて、そこで勝ち残らないと自分で番組を作らせてもらえないという厳しさがありました。本当にいろんなことを学びましたけど、忘れられないのは弁当の食べ方かな。食べているところを見られると怒られちゃうから、ゴミ箱の横で立ったまま食べて、足音が聞こえたら速攻で捨てるという、人に知られずに食べる方法を習得しました(笑)」
──そして「夢で逢えたら」を経て、「ごっつええ感じ」の現場に入られるわけですね。
「入社2年目で、いきなりチーフADとして入りました。番組では、僕の師匠である星野淳一郎さん(※フリーディレクター)がずっとコントの演出をされていて。星野さんは、愛情を持って厳しく接してくださる方で、番組作りの基本的なことは全て星野さんからたたき込まれました。
当時のダウンタウンさんは、全国ネットのゴールデン帯で初めての冠番組を持って、自分たちの存在を世の中に認知させるんだと、ものすごく気合が入っていた時期で。その気迫あふれる状況で一緒にやれたことは、貴重な経験でしたね。僕にとっても熱い時代でした」