「ZIP!」(日本テレビ系)お天気コーナーに出演中の気象予報士・小林正寿。睡眠時間もプライベートも削るほど情熱を傾ける、気象予報士という仕事との出会いを語った。
気象予報士をめざした理由
――そもそも、なぜ小林さんは気象予報士になろうと思ったんですか?
「“デマ事件”が原因です」
――デマ?
「中学生だったある日、朝の天気予報を見ていたら僕が住んでいる茨城県が雪の予報だったんです。僕は野球部で、雪だと練習が楽になるので、チームメイトに『今日は雪らしいよ』と伝えたんです。でもその日は雪は降らず、みんなから『全然降らねーじゃねーか!』と怒られて」
――みんなに期待させてしまった。
「それからあだ名が“デマ”になりました。下の名前が“まさとし”なので“デマサトシ”、通称、デマです。」
――中学生はときに残酷なあだ名をつけますよね…。
「それで『天気予報って誰がやっているんだろう?』と気になって、頭のいいチームメイトに聞いたら『気象予報士という人がやっているらしいよ』と。あだ名をつけたのはキャッチャーなんですけど、大人になって会ったら『人生を左右しちゃってごめんな』と言われました(笑)」
――そのときから気象予報士を目指すようになったんですか?
「『気象予報士』をなんとなく意識してはいたんですが、高校生のときはグレてまったく勉強していなかったですし、大学1年生のとき『これ一冊で気象予報士試験に合格できる!』みたいな本を買って、最初の1ページで『これはダメだ』と諦めたりしていていました(笑)。人生をかけて気象予報士試験を受けようと決意したのは大学4年生の終わりごろです」
――大学4年生の終わりというと、周りには進路がもう決まっている人が多かったのでは?
「そうですね。僕も教職課程はとっていたので教員になって得意な地理を教えつつ野球の指導者になる、という将来も考えてはいたんですが、『なんとなく生きてきた俺の人生、これでいいのか?本当にそれで後悔しないだろうか?』と思って」
――とはいえ、気象予報士試験は難関ですよね。
「はい。でも大学を卒業しての浪人生活だったので、『試験を受けるのは3回まで』と決めて自分を追い込みました。とにかく過去問題を20回分くらい解きまくり、何が問われるのか、試験の傾向をつかみ、分析しました。悠長に勉強していられなかったので効率重視です。1回目は全科目落ちて、2回目に2科目、3回目で無事にすべての科目に合格したんです」
※気象予報士試験には「予報業務に関する一般知識」「予報業務に関する専門知識」「実技試験」の3科目があり、例えば1回目の受験で一般知識が合格で、専門知識と実技に落ちたとすると、2回目は合格した一般知識が免除される。
「1回目の試験のときは、実技試験はしゃべりながら解説するんだと思っていて、お天気キャスターがよく使う指示棒を持っていって、試験官に『使わないからしまっていいよ』って言われましたね(笑)」
――もし3回受けても受からなかったらどうしようと思っていたんですか?
「茨城の地元で就職しようと思っていましたが、ハローワークで見た求人が『チェーンソー経験者のみ』という条件だったりして、自分にあてはまらないものがほとんどで…。これは絶対に気象予報士に受からないと、という危機感を強めました」
――チェーンソーの経験を積むのも時間かかりそうですね…。
「いま思えば、人生は不思議ですね。あのとき、朝の番組が雪の予報をハズしていなかったら、僕は気象予報士になっていませんでした。奇しくも現在、僕は朝の天気予報を担当しているので、第二の“デマ”を出さないように――と思いながら日々のオンエアに臨んでいます」
気象予報士。1988年生まれ。2019年より日本テレビ系「ZIP!」にお天気キャスターとして出演中。天気予報のほか、バラエティ番組にも多数出演している。布団なし、カーテンなし、包丁なし、箸なし…という極端にモノのない生活や、ハンバーガーが主食という偏った食生活がバラエティ番組で取り上げられ、話題となる。中学生時代のあだ名は「デマ」(友達に教えた天気予報が外れたため)。いばらき大使、常陸大宮大使。水戸ホーリーホックオフィシャルウェザーサポーター。
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