新発見の坂本龍馬の手紙「日本の歴史の進路を決めた」 龍馬研究者がシンポジウムで歴史的意義を語る
坂本龍馬の没後150年である2017年、完全受注生産の『坂本龍馬大鑑』(KADOKAWA)が坂本龍馬の命日・11月15日に刊行される。これを受け、龍馬や幕末研究の専門家が集い語り合うシンポジウムが7月14日に行われた。
シンポジウムのテーマは、最近発見された龍馬直筆の2通の手紙。昨年12月に見つかった「新国家」の3文字が明記された福井藩士・中根雪江あての書簡と、今年6月に公表された、土佐の家族にあてた手紙の歴史的価値について激論が交わされた。
シンポジウムに先立ち、高知県の尾崎正直知事(「崎」は“立つさき”)が「『新国家』と書かれた手紙からは、坂本龍馬が目指したのは決して新たな幕府ではなく、まったく新しい国民国家であったということが、もう一つの手紙からは、坂本龍馬が一介の浪士でありながら当時の政界関係の皆さんといかに密なる交流をしていたかということがわかってきます」と指摘。続いて幕末研究の専門家5人が登壇し、発見された2通の手紙について、それぞれ持論を展開した。
中根雪江あての「新国家」の書簡については、福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長が「(書簡の受取人の)中根雪江という人は、(福井藩主)松平春嶽の影に添うように仕えた人であります。非常に慎重派ということで、龍馬の雪江に対する気づかいも非常によくその書簡から聞こえてくる、非常に感激した内容の手紙でございました」と、龍馬と福井ゆかりの人物との関係性について感慨を込めて語った。
ことし存在が明らかになった家族への手紙については、さらに議論が白熱。京都国立博物館の宮川禎一氏は「この手紙を研究者として最初に見たのが私です」と明かし、龍馬が“西郷吉之助・小松帯刀とともに寺田屋襲撃事件のことを思い出して笑った”と記した部分について「慶応2年の2月の始め、京都の薩摩藩屋敷で3人がアハハハと笑っていることこそが日本の歴史の進路を決めた、大いに検討に値することであろうと思います」と熱っぽく語った。
佛教大学の青山忠正教授も「原本で見ますと迫力が違います。家族あての書簡というのはこれだけラフな書き方をするものだと。写しが残っていたので内容自体はこれまでも知られていましたが、今回オリジナルの原本が発見されたことはものすごく意義があるものだと思っています」と、その価値に言及した。
この家族に向けた手紙の現物は、高知県坂本龍馬記念館が購入に向けた準備を進めているという。同館の三浦夏樹氏は「ことしは龍馬没後150年ということで、こういう節目の年には何か資料が出てくるだろうと前から思っておりました」としつつ、「高知県にとっては、(掛け軸など)表装されていない手紙は初めてのもので、本当に貴重なものだと思います」と、その貴重さを学芸員の視点から指摘。
今回『坂本龍馬大鑑』の監修・執筆も手掛けた全国龍馬社中副会長・小美濃清明氏は、「この手紙には、(寺田屋事件によって)“左手が動かなくなった”と書かれています。龍馬が簡単に暗殺されてしまった原因は左手のケガがポイントだったのではないか、もし寺田屋でケガをしていなければ左手が動いて、(暗殺されたときに)刀を抜くことができたのではないか」と、今なお謎に包まれた坂本龍馬の暗殺の真相に思いを馳せた。
それぞれの幕末研究の専門家による解説で、シンポジウムは盛況。また、この日は中根雪江あての手紙の実物が展示されるなど、貴重な資料に触れられる機会ともなった。
この日から、『坂本龍馬大鑑~没後150年目の真実』の予約受付もスタート。同書は中根雪江あての書簡も含め、手紙や重要文化財など全10点の複製資料とオリジナルDVDを収蔵し、坂本龍馬の実像に「読んで」「見て」「触れて」迫れる一冊で、全国13の郵便局で見本展示を行っている。