長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『イワクラせいや警備保障』(毎週木曜深夜、テレビ朝日)をチョイス。
ルームシェアへの究極の憧れ「イワクラせいや警備保障」
ルームシェアには究極の憧れがあるわけだ。つまるところ、ルームシェアをすれば、生活に蓄積していく基本的な鬱屈はすべて解決するのであり、さらに極端に言えば、人より少し偉くなるわけである。友人4人で一軒家に住んでいます。もし初対面の人間にこう言われたら、私は「そうですか。すみません、手持ちは少ないのですが、お納めください」と財布の中身をすべて提出するだろう。それくらい、ルームシェアというものに憧れがある。
具体的にルームシェアの何が良いのだろう、と考えてみても、これがいまいち分からない。私は集団生活が嫌いではないから、人との共同生活を受け入れる土台が身体に元々備わっているのは確かなのだが、それ以上の理由といえば、前述のとおり、「すべてが解決するから」という抽象的なモノしかない。しかし、なにが解決するというのか、これが自分にも分からない。そもそも解決などするわけがない。人生は解決しないことの連続、思い返してみれば、なにかが解決した試しなどひとつも無いのだ。忘れるか、別の小さな問題に移行するかのどちらかである。
そんな、すっかり破綻している人生の拠り所として、嘘でもいいから”人との絆”というアリバイを作るための共同生活なのだとしたら、私が求めてしまうのもうなずける、とひとまず結論付けることはできるかもしれないが、もっと手前の感情で言うならば、ルームシェアって、すごく楽しそうである。友達と共同生活をしたら楽しそう。当たり前の話。一度、荻窪の一軒家で友人3人とルームシェアをする計画を立てたが、またたく間に崩壊した。やろうと思ってできるものでもない。現実というものは、複数の成人が共同生活を送りやすいようにはできていないのだ。
『イワクラせいや警備保障』は、ルームシェア経験者である蛙亭・イワクラと霜降り明星・せいやのふたりが、他人のルームシェア生活を覗き見する番組。今回”警備”するのは、25歳の幼馴染3人組によるルームシェア。”さりー”、”たじー”、”あんでぃ”というあだ名の3人の女性が、それぞれの個性豊かに共同生活を送る様子を見ることができる。彼女たちにはメンバーカラーがそれぞれ存在していて、さながらフィクションの世界のような光景なのだ。
いつかは複数人での共同生活を志している者として参考にさせてもらおう、という思いで鑑賞したのだが、彼女たちはちょっと信じられないくらい仲が良くて、圧倒されるばかり、参考どころではなかった。せいやも言っていたように、一緒に食事をするということがまず凄いというか、3人は、本当の意味で共同生活を送っているのだ。同じ場所に住んでいる、というだけではなく、文字通り、一緒に生活をしている。みんなで一緒にうどんを作ったり、違う時間に違う用事で出かけたふたりが一緒に帰ってきたりする。ここまで仲良くできる人間と3人で生活、一体どんな気分なのだろう。死ぬほど楽しいのだろうか、それとも、死ぬほどウンザリするような瞬間もあったりするのだろうか。自分には10年来の友達と呼べるような存在がいないから、うまく想像ができない。
リビングには常に誰かがいてほしいけど、一緒に食事をしたいとまでは思わない。私にとってのルームシェアというのは、これくらいの温度感なのだという事が分かり、それはつまり、会おうと思えばすぐに会える人間が欲しい、しかし基本的にはひとりでいたい、という、都合の良い欲求に他ならないのだ。都合が良い、悪い、なんて超越しているようにすら感じられるあの3人を見ていると、自分のエゴがだんだんと浮き彫りになってくるようである。